雑誌「世界」の最新号(2022年2月号)が、「クルマの社会的費用」と題する特集を組んでいる。車の社会的費用とは、経済学者の宇沢弘文が1970年代に提唱した概念で、公害や安全などにかかわる費用を、その原因を作っている当事者に負担させるべきだという主張を含んでいた。そうした負担を宇沢は、社会的費用の内部化と呼んだ。その内部化の議論がその後、排ガス規制とか道路計画に大きな影響を与えてきたのであったが、近年は地球温暖化の問題が前景化し、それへの対策としてEV化が一挙に加速するようになった。この特集に収められた諸論文には、そうしたEV化のもたらす革命的な衝撃を取り上げたものもある。
「電動化が引き起こす自動車産業の『解体』と『再構築』」と題した鶴原吉郎の小文は、EV化によって既存のエンジン型自動車産業が解体し、それにかわって全く新しいビジネス・モデルが構築されると予想している。それは単に、エンジン型の車両から電動型の車両への移り変わりにとどまらない。電動型車両の生産は、エンジン型のような高度な技術の蓄積を必要としないので、だれでも気楽に参入できる。じっさいアップルのようなIT企業が、自動車産業への参入を目指している。今後はそうした動きが強まり、自動車産業をめぐる垣根は取り払われる可能性が大きい。
「テスラ・ショック」と題する飯田哲也の小文は、EV化の流れに乗って急生長する米企業テスラの勢いと、それがもたらす衝撃的な影響について分析している。テスラが衝撃的なのは、単に電動自動車市場を制覇する勢いのみならず、自動車産業のあり方自体を変えてしまう可能性があることである。今後の自動車産業は、製造と販売の分離、自動運転の発展、ライドシェアの普及といったものを加速させる。ライドシェアは、車の共同利用を推進するものだ。自動車の共同利用が進めば、個人的に車を所有する必要はなくなる。その結果、自動車の販売戦力が根本的な見直しを迫られるだろう。
テスラの勢いはすさまじいもので、EV市場を支配するのみならず、遠からずエンジン自動車を市場から駆逐してしまうだろうという。そうなれば、自動車産業が最後の砦となっている日本経済には甚大な影響が生じる。トヨタはじめ日本の自動車企業はこの流れに乗り損なうと、没落を余儀なくされるだろう。これは自動車産業の没落にとどまらず、「日本沈没リスク」を意味すると筆者はいう。
こういう議論を聞かされると、日本の将来に暗澹とならざるをえない。日本はいまのことろ、自動車産業の現状に満足するあまり、将来のことをあまり深刻に受け止めていないフシがある。先般のCOP26に関連して、「化石賞」を贈られたのはその象徴的な事例だ。こんな調子だと日本は、遠からずすべての産業分野で世界の後塵を拝するようになり、二流どころか三流国家に甘んじなければならなくなる可能性が大きい。EV化がもたらす新たな産業革命に適確に対応できる国だけが、勝者として生き残ることができる。
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