ヒューモアとしての唯物論:柄谷行人の超越論的議論

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「ヒューモアとしての唯物論」は、柄谷行人の哲学的な営みの上では、「マルクスその可能性の中心」と「カントとマルクス」の間に位置する。「マルクス」において柄谷は、マルクスを自分なりに読み替え、まずプルードン的なアナーキストに仕立てた。そのうえで、「カントとマルクス」においては、マルクスをカント的な理想主義者に祭り上げたわけだが、「ヒューモアとしての唯物論」は、そうした柄谷のマルクス読み替え作業の途上にあるものとして位置づけることができるのではないか。ここでの柄谷の主な標的は、マルクスをカントと関連付ける作業の落としどころを見出すところにあると言ってよい。その落としどころになる概念装置を柄谷は、「超越論的な態度」というものに求めた。カントもマルクスも、超越論的な態度を共有したというのである。「ヒューモアとしての唯物論」とは、そうした超越論的な態度を意味している。

「ヒューモアとしての唯物論」というタイトルからは、マルクスが「デモクリトスとエピクロス」を卒業論文のテーマに選んだことを踏まえれば、マルクスのギリシャ哲学批判を想起させるのであるが、そうではない。だいたいこの著作は、それぞれ独立した論文を寄せ集めたものである。その論文の中に「ヒューモアとしての唯物論」というのがあって、著作全体にその題名が横引きされたといった具合なのだ。

そこでその「ヒューモアとしての唯物論」という論文だが、これは八ページほどの短い文章で、主として「超越論的」という言葉の意味について解釈している。超越論的というのは、西欧哲学史の常識ではカントのキー概念ということになっているが、ここではそのカントではなく、日本の子規とフランスのボードレールが引き合いに出されている。そうすることでこの概念が、カントについてだけ問題にされるのではなく、もっと広い範囲において問題にされるべきだということを主張しているのである。

子規について柄谷は、「死後」という有名な文章を引用している。これは自分が死んだ後のことを、あたかも生きているままの自分の目で見ているように書かれたものだ。そこに柄谷は、「自分が自分自身を高みから見る『自己の二重化』」を見ている。その自己の二重化が、カントの超越論的な態度に通じるというわけである。

ボードレールについては、笑いの本質についての文章を引用しながら、ヒューモアとは「同時に自己であり他者でありうる力の存在することを示す」ものだという主張を引き合いに出しながら、ヒューモアは「精神的姿勢」であって、それはカントの超越論的な姿勢に通じるものだといっている。

そこであらためて「超越論的」という意味が説明される。それはある種の精神的態度であり、「自己二重化」というのが柄谷の定義である。この自己の二重化とは、自分を、自分でありながら、自分ではない他者の視点から見るということを意味する。この自己を他者の視点から見るということが、柄谷が「超越論的」と名付けた精神的態度の本質的な特徴である。そうした態度にもとづく超越論的な批判こそが、唯物論なのであり、ヒューモアなのだと柄谷はいうのだが、なぜその超越論的な態度が唯物論になるのか、そこのところが丁寧に説明されていないので、わかりづらいところはある。

ともあれ、小論「ヒューモアとしての唯物論」で確認された超越論的な態度にもとづいて、さまざまな思想的なモチーフが批判的に検討されるというのが、この著作に集められた他の論文の趣旨である。冒頭の論文「個体の地位」は、個人がいかにシステムとしての文化によって規定されているかについて、デカルトを材料にして考察するなかから、システムを超えた姿勢を超越論的な態度として認定する作業を行っている。二番目の小論「交通空間についてのノート」は、個人があるシステムに呪縛されている一方、世界には複数のシステムがあり、あるシステムを理解するためには、他のシステムとの相互関係に置いてみなければならないというようなことを主張している。それとの関係で、交易は共同体(或るシステム)と共同体(別のシステム)の間で始まるとするマルクスの主張を引用する。また、「エクリチュールとナショナリズム」では、言語が閉じられたシステムであることが強調される。言語は閉じられた体系であるばかりでなく、容易に壊されやすいものだというのである。ということは、言語は歴史的なものだという当たり前のことを再確認したといえなくもない。

以上を要するに、柄谷のこの著作に込めた目論見は、超越論的な姿勢にもとづいて世界を再解釈するということにあると言ってよい。柄谷はその先駆者としてのデカルトを見直し、そのデカルトの超越論的態度を受けついだカントが認識論的展開を行い、さらにマルクスがその超越論的態度によって、世界を再解釈したと言いたいようである。マルクス自身は、世界は解釈するものではなく、変革すべきものだと言っているのであるが、柄谷としてはとりあえず、これまでとは異なった、自分なりの世界解釈を提出したかったようである。その場合に柄谷が導きの糸とするのが、デカルトにはじまりカントを経てマルクスにいたる、「ヒューモアとしての唯物論」の系譜だったわけであろう。





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