続審問:ボルヘスの思弁的エッセー集

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ホルヘ・ルイス・ボルヘスは、アルゼンチンに生きるユダヤ人だが、自分をアルゼンチン人とは意識しておらず、コスモポリタンなユダヤ人として意識しているようだ。アルゼンチンについては、軽蔑というよりも、無視する態度を徹底している。そんなものがこの地球に存在することさえ不可思議だといった露骨な嫌悪感がかれの文章からは伝わってくる。原住民たるインディオなどには、犬とかわらぬ存在意義しか感じていないようである。

そんなボルヘスを慰める材料を、アルゼンチンは無論提供してくれない。かれは金も暇もたっぷりあるようなので、どうにかして時間をつぶさなければならないのだが、生来瞑想的なところがあるらしく、さまざまな書物を読むことで、その瞑想を掻き立てながら生きているようである。いる、というよりは、いた、というべきだろうが。

かれが好んで読むのは、英語の書物だ。父親が英米系の作家や学者の本をたくさん所有していたという事情も働いているらしいが、それよりも、英米系の人種の経験主義的な傾向がかれの気に入ったようである。大陸系の著作は、やたら大袈裟なことばかり詰め込んでいて、その大袈裟が、民族とか理想主義とかに結び付くと、人間の品性にも序列をつけたがる。それがボルヘスには気に食わない。人間に序列をつけようという話になると、いつもきまってユダヤ人が最下層に分類されるからだ。

英米系の書物にも、ユダヤ人を蔑視するものがないわけではないが、大陸に比べればひどくはない。英米系の人間、つまりアングロサクソン人たちは、なにごともドライに割り切って考える。要するに経験を重んじる良識的な人間なのだ。そういう人々の書いた文章は、肩がこらずに読めるし、また隣人としてつきあって不愉快な思いをせずにすむ、とボルヘスは考えているようだ。

ボルヘスの先祖はスペインに住んでいたらしく、それがスペイン語圏のアルゼンチンに流れてきたということらしいが、ボルヘス自身、自分のそうした出自にまったく意味を見出していない。一応スペイン語で書いたり話したり考えたりはしているが、それは便宜上のことであって、考えていることの内容はスペインとかアルゼンチンとかとは全く関係がない。かれが考えていることは、特定の民族や言語とはほとんどかかわりのない、つまり人間としての普遍的なことがらである。だからかれは、アルゼンチン人である前にまず人間なのであり、スペイン語を話してはいるが、それは便宜上のことであって、実は普遍言語を話していると、自分自身思っているフシがある。

だいたい、スペイン語というのは、文学作品や思想的なことがらを書くには適していない、とかれは言っている。スペインが世界にほこる「ドン・キホーテ」も、かれにかかっては、単に文学史の一挿話で、大した意義を与えるべきものではない。もっともかれはシェイクスピアもたいして評価するわけではない。ドン・キホーテもシェイクスピアも身振りが大袈裟すぎるという理由かららしい。かれが評価するのは、ユダヤ人作家カフカであり、また、ユダヤ人以外では、エドガー・アラン・ポーのような風変わりな英語圏作家である。かれは、この「続審問」というエッセー集の中で、ナザニエル・ホーソンとかチェスタートンを好んでとりあげているが、ホーソンはカフカの先駆者としての位置づけだし、チェスタートンはポーのよき理解者としての位置づけをしている。要するにカフカとポーが好きなのである。

ボルヘスが、カフカとポーが好きな理由はいくつかあるのだろうが、もっともそれらしいのは、カフカもポーも遊戯の精神に富んでいたということだろう。カフカは一見遊戯とは無関係なまじめな男だったように見えるが、しかし人間がゴキブリに変身するなどというアイデアは、遊戯の精神でなければ思いつかないだろう。ポーの場合には、遊戯の精神を誇っているのがわかる。かれはさまざまな怪奇小説と、頓智を駆使した探偵小説を書いたが、そうした読み物は、遊戯の精神がなければ書けないものである。

ボルヘスはそうした遊戯の精神にあこがれていたのだと思う。そして彼自身もそうした遊戯の精神を発揮したいと考えたらしいのだが、それが豊かな果実を結んだかどうかは、読者の受け取り方次第だろう。ボルヘスは、作家として自己認識していたようだが、かれの書いたものは、小説乃至物語というより、思弁の折なす言語ゲームのようなものである。だいたいエッセー集の表題に「審問」という言葉をあてること自体、ゲームを思わせる。審問とは、文字通りには他人を問いただすことだが、このエッセー集に収められた短い文章群は、読者に問い掛けながら、その問いの意味を読者とともに考えようという、要するにゲームの感覚で書かれているのである。

そのゲームはかなり思弁的なものなので、読者はボルヘスの文章に、アクロバット的な言語の戯れを感じて、おもわず膝をたたくこともあるだろう。





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