ビッグ・シティ:サタジット・レイの映画

| コメント(0)
ray04.city.jpeg

サタジット・レイの1963年の映画「ビッグ・シティ」は、インドの大都市に暮らすサラリーマン一家を描いた作品。その頃のインドはまだ発展途上国であり、経済的には貧しく、また人々の意識は古い因習にとらわれていた。そんなインド社会にあって、とりあえず生活のために働く決意をした女性が、自分の家族をはじめ、世間の偏見や因習と戦う様子を描いている。

舞台はインド・ベンガル地方の大都市カルカッタ。その一隅にサラリーマンの一家が暮している。夫は銀行員だが、給料だけでは生活できないので、ほかに家庭教師のアルバイトをしている。夫婦の小さな子どものほかに、夫の両親と妹が同居しており、六人家族である。その家族を養うために、妻が働くことを決意する。最初は夫も理解を示し、妻の就職活動を手伝ったほどだった。

しかし、いざ働き始めると、夫の両親や小さな子どもが拒絶感を示す。子どもは母親に家にいてもらいたいだけなのだが、両親は、嫁に働かせることは自分たちの恥だと思っている。嫁は家にいて、家事をとりしきるべきだというのが彼らの考えなのである。そういう考えは、21世紀の日本でも珍しいことではない。1960年代のインドでは、支配的だったのだろうと思う。

そういう因習的な考えを両親らに示され、夫も次第に、妻が働くことに懐疑的になっていく。あげく妻を強制して辞職願を書かせたりする。しかし、夫の努めている銀行が突然倒産し、夫は失業者に陥る。そこで妻のかせぎが唯一の収入源となり、夫はやむなく妻が働きつづけることを認める。

ところがその妻が、個人的な感情に駆られて会社の上司と衝突し、みずからやめてしまうのだ。理由は、日頃仲良くしていたイギリス系の女性の同僚が、上司に侮辱された上にクビになったことだ。妻は上司に談判し、彼女を侮辱したことを謝罪しろと詰め寄る。彼女にとっては、女が侮辱されたまま泣き寝入りすることは、プライドが許さないのだ。そのあたりは、インド人女性の心意気のようなものを感じさせられる。

そんな彼女を夫は支持する。こんな大都市なのだから、働き先はいくつも見つかる。自分も一緒に職探しを始めるよ、そう言って妻を励ますのである。夫が支持してくれたうえに、夫の両親も嫁を理解してくれる。特に義父は嫁に対して厳しい態度をとっていたのだが、嫁が自分たち家族を養うために奮闘しているさまを見ているうちに、自分が勝手だったと思うようになったのである。その義父はもと教師で、教え子の中には出世したものもいる。インドでは出世した弟子が貧しい恩師の面倒をみるのが当然だという意識があるらしく、義父はかつての弟子たちを訪ね歩いては、金を無心するのだが、そんなことがいつまで通用するはずがない。そんなこともあってかれは、まずます嫁をあてにせざるをえないのだ。

こんな具合にこの映画は、一時代のインドにおける庶民の暮らしぶりを、喜怒哀楽の情を交えながら描いている。その映画の雰囲気が、小津安二郎のそれとよく似ていると感じるところもある。

なおこの映画は、1976年に岩波ホールで初上映された際には「大都会」というタイトルだったが、のちに「ビッグ・シティ」と改められた。





コメントする

アーカイブ