ボアの女:萬鉄五郎の世界

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「ボアの女」と呼ばれるこの絵は、1912年の第一回ヒューザン会に出展した作品(当初は「女の顔」といった)。ヒューザン会とは、萬が木村壮八らとともに結成した美術団体で、未来派など西洋の前衛芸術に深い関心を寄せていた。この団体の活動は、萬が1914年に郷里の岩手に帰ったことなどもあって、短期間で終わった。

ゴッホの肖像画、とくに「タンギー爺さん」の影響が指摘できる。タンギー爺さん同様、正面を向いた半身像であり、背景として壁にかけられた絵がある。この絵の中の絵は萬の描いた作品である。描いた絵が売れなかったので、萬をそれらを自宅の壁に飾っていたのであろう。

モデルは、1909年に結婚した妻のよ志。ボアとは毛皮で作った襟巻のこと。その洋風の襟巻を和服の上に巻いているところがなんともアンバランスで、萬の洒脱さを感じさせる。

きわめて単純な構図で、遠近法や立体感などは全く考慮されていない。そのあたりは西洋の今風のやり方を取り入れたといえるが、しかし和風を組み合わせることでアンバランスさを演出するところは、単なる洋風の模倣にとどまらない。そこは萬の独創がある。

(1912年 カンバスに油彩 80×65㎝ 岩手県立博物館)






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