招かれざる客:スタンリー・クレイマーの社会派映画

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1967年のアメリカ映画「招かれざる客(Guess Who's Coming to Dinner)」は、アメリカにおける白人と黒人との人種間結婚をテーマにした作品である。その頃のアメリカは、公民権運動の高まりの中にあったが、まだ白人と黒人との結婚など考えられなかった。なにしろ、ジャッキー・ロビンソンが大リーグでプレイするだけのことで国中が大騒ぎになったのは、わずか20年前の1947年のことだ。野球でさえそんな騒ぎになるのだから、黒人男が白人女性と結婚するなどありえないとされていた。つまりタブーだったわけだ。そのタブーをあざわらうかのように、この映画は黒人の男が白人女性との結婚に成功する姿を描いている。今日では、人種間結婚の問題を正面から取り上げた作品として高く評価されているが、当時の評価は賛否極端に分かれた。評価するものも、けなすものも、自身の人種的な偏見に無縁ではなかったのである。

シドニー・ポアティエが、アメリカ映画でヒーローを演じた最初の黒人俳優となった。それまでのアメリカ映画では、黒人ははした役として出て来るだけで、ヒーローを演じることなどなかった。しかも白人女性と結婚するというスキャンダラスな役柄でである。この映画の中のシドニー・ポアティエは、どちらかというと大根役者といってよいが、それは柄にもない役をさせられているということによるのかもしれない。黒人としてよりも模範的な男として描かれている。その模範性ぶりはスーパーマンといってよいほどだ。この映画の中のポアティエは、黒人であるということを除けば、文句のつけようがない優等生なのだ。逆に言うと、超優等生でなければ、白人社会に対等に受け入れてもらえないということなのだろう。

それゆえ、この映画にはかなりな不自然さを感じさせられる。シドニー・ポアティエは超人的な能力によって白人女性の心をつかんだばかりでなく、その女性が属するアメリカの上流階級の両親の心までつかむ。それは、若いカップルが深く愛しあっているということもあるが、それ以上に、ポアティエがアメリカのエリートに列しているからだ。かれは超一流大学を卒業して医師となり、有名大学の教授とか国連の上級スタッフを歴任している。白人社会でも垂涎の的となるようなキャリアだ。そのキャリアによって、いわば力づくで、白人たちをねじ伏せるといったところも感じさせる。

黒人が白人社会に認められるためには、異常な努力が必要だった時代だ。ジャッキー・ロビンソンも、大リーガーとして認められるために、フィールドで実績を残すだけではなく、模範的な紳士として振る舞わねばならなかった。そうした努力がかれをなんとか白人社会に受け入れさせたのである。それと同様に、この映画の中のシドニー・ポアティエも、白人の両親に受け入れてもらうために涙ぐましい努力をしている。その努力にほだされる形て、かたくなな父親も折れるのである。この父親は、リベラルな新聞経営者ということになっており、人種問題については理解あるはずだったのだが、いざ自分の娘が黒人と結婚すると聞いて、反射的に嫌悪感にとらわれるのである。かように人種的な偏見というものは根が深いということだろう。

娘の母親を演じたキャサリン・ヘップバーンは、アメリカ映画史上最も敬愛されている女優である。色々な理由があると思うが、この映画の中で見せた彼女の高い知性と寛容な心がアメリカ人の心をとらえたともいえる。もしアメリカ女に知性と寛容があるとすれば、彼女こそそれを体現した女性だというふうに、誰もが思ったのではないか。





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