坐禅箴その二:正法眼蔵を読む

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「坐禅箴」の巻の後半は、宏智禅師正覚の「坐禅箴」の紹介とそれへの道元の注釈、及び道元自身の「坐禅箴」の提示からなる。宏智禅師は、曹洞宗の法統に属し、道元より四世代前の人。道元の師匠如浄が唯一「古仏」と呼んで尊敬していた禅者である。その宏智の残した「坐禅箴」を道元は、多くの座禅に関する書物がことごとくつまらぬものばかりなのに、ひとつだけはなはだ優れたものとして推奨する。この「坐禅箴」だけが、「仏祖なり、坐禅箴なり、道得是なり。ひとり法界の表裏に光明なり、古今の仏祖に仏祖なり。前仏後仏この箴に箴せられもてゆき、今祖古祖この箴より現成するなり」というのである。

宏智の「坐禅箴」は次のようなものである。
  仏仏要機、祖祖機要(仏仏の要機、祖祖の機要)
  不触事而知、不対縁而照(事を触せずして知り、縁に対せずして照らす)
  不触事而知、其知自微(事を触せずして知る、其の知自ら微なり)
  不対縁而照、其照自妙(縁に対せずして照らす、其の照自ら妙なり)
  其知自微、曽無分別之思(其の知自ら微なり、曽て分別の思無し)
  其照自妙、曽無毫忽之兆(其の照自ら妙なり、曽て毫忽の兆無し)
  曽無分別之思、其知無偶而奇(曽て分別の思無き、其の知無偶にして奇なり)
  曽無毫忽之兆、其照無取而了(曽て毫忽の兆し無き、其の照取ること無くして了なり)
  水清徹底兮、魚行遅遅(水清んで底に徹つて、魚の行くこと遅遅)
空闊莫涯兮、鳥飛杳杳(空闊くして涯りなし、鳥の飛ぶこと杳杳なり)
全九十八文字の短い文である。これに道元が極めて詳細な評釈を加えている。その前に坐禅箴への全体的な評価として、「坐禅箴の箴は、大用現前なり、声色向上威儀なり、父母未生前の節目なり」と言っている。「大用現前」とは、大いなる働きの出でたものという意味、「声色向上威儀」とは、形を超えた形、「父母未生前の節目」とは、いかなる差別も生じない以前の無分節の状態、というような意味である。

冒頭の句「仏仏要機、祖祖機要」については、仏教の要諦は座禅にありと評釈する。「不触事而知、不対縁而照」という句については、知とは分別知をいうのではなく、主客対立の二元的な考えをやめるべきだと評釈する。「不触事而知、其知自微」及び「不対縁而照、其照自妙」は、「不触事而知、不対縁而照」の内容を繰り返したもの。「其知自微、曽無分別之思」については、これも知とは分別知ではないということを改めて強調したもの、その次の「其照自妙、曽無毫忽之兆」も分別知の働く余地はいささかもないという意味。「曽無分別之思、其知無偶而奇」と次の「曽無毫忽之兆、其照無取而了」の部分は、「それ以前の句の繰り返し、「水清徹底兮、魚行遅遅」と最後の「空闊莫涯兮、鳥飛杳杳」については、坐禅によって得られるさとりの境地を描写したものだろう。

全体を眺めてこの文章の言うところを俯瞰すると、分別知では肝心なことはなにもわからない、ということを言っているように思える。分別知とは形にこだわる知であるから、それを否定することは、無分別の勧めということになる。無分別とは、いいかえれば空のことであるから、ここで説かれていることは空の思想だといえる。

宏智のこの「坐禅箴」を道元は、「宏智禅師の坐禅箴かくのごとし。諸代の老宿のなかに、いまだいまのごとくの坐禅箴あらず。諸方の臭皮袋、もしこの坐禅箴のごとく道取せしめんに、一生二生のちからをつくすとも道取せんことうべからざるなり。いま諸方にみえず、ひとりこの箴のみあるなり」といって、絶賛する。その上で自身の「坐禅箴」を提示するのである。なぜそんなことをするのか。道元は仏教の単伝ということにこだわっていたから、宏智の「坐禅箴」を踏まえながら、自分自身が仏祖から単伝された「坐禅箴」を自分の言葉で言ってみたかったのでもあろう。その道元の「坐禅箴」は次の如くである。

  仏仏要機、祖祖機要(仏仏の要機、祖祖の機要)
  不思量而現、不囘互而成(不思量にして現じ、不囘互にて成ず)
  不思量而現、其現自親(不思量にして現ず、其の現自ら親なり)
  不囘互而成、其成自証(不囘互にして成ず、其の成自ら証なり)
  其現自親、曽無染汚(其の現自ら親なり、曽て染汚無し)
  其成自証、曽無正偏(其の成自ら証なり、曽て正偏無し)
  曽無染汚之親、其親無委而脱落(曽て染汚無きの親、其の親無にして脱落なり)
  曽無正偏之証、其証無図而功夫(曽て正偏無きの証、其の証無図にして功夫なり)
  水清徹地兮、魚行似魚(水清んで徹地なり、魚行いて魚に似たり)
空闊透天兮、鳥飛如鳥(空闊透天なり、鳥飛んで鳥の如し)
冒頭では、仏教の極意は座禅にありと、宏智の「坐禅箴」の言葉をそのまま援用しながら、次の句以下では、不思量とか不囘互とか、この巻前半の部分で展開してきた道元の坐禅についての考えが反映された言葉が続くのである。






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