トルコ映画「昔々、アナトリアで」 トルコ的犯罪捜査

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2011年のトルコ映画「昔々、アナトリアで(ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督)」は、犯罪捜査をテーマとしながら、トルコ人の生き方とか考え方を表現した作品。この映画を見ると、トルコ人の生き方のユニークさが伝わってくる。

殺人事件の捜査のために、三台の車に分乗した捜査員たちが、二人の被疑者を伴って現場に赴く。三台の車にはそれぞれ、警察、検察、軍の当局者たちが乗っている。被疑者が自白した殺人現場に赴いて、被害者の死体を掘り出すという目的だ。警察、検察、軍が一体で殺人事件を捜査するというのが、日本と比較して変わっている。日本では、事件の捜査は警察が担当し、検察は警察による送検をまって動き始め、軍隊(自衛隊)はいっさいかかわらない。

トルコでは、軍はともかく、警察と検察が一緒で一次操作から担当するわけだ。それでも一定の役割分担はあるようで、被疑者の取り調べとか、証拠の選択などは警察が担当し、検察は、事実の確定と証拠固めを行うようである。

映画は、被疑者を乗せた車があちこち移動し、被疑者の指定する現場で死体を掘り出そうとするさまを描くことから始まる。かれらは、被疑者の証言にもとづいて、色々な現場に赴くのだが、どこへいっても探し当てることができない。それは、被疑者の狡猾というよりは、警察の無能に原因があるというふうに作られている。この映画の中の警部は、非常に思い込みの強い男で、その思い込みを被疑者に強制するところがある。被疑者のほうは、聞かれたことにしか答えないという姿勢だから、余計なことはいっさい言わないわけで、それが捜査を隘路に陥れるのである。

なかなか埒が明かないので、一行はある村の村長の家で休憩することにする。村長には美しい娘がいて、メンバーの誰もが、被疑者を含めて、その美しさに魅了されてしまう。女の美しさの力は、仕事の都合よりも強力なのだ。その美しさに眼がくらんだか、被疑者が死体を埋めた場所に案内すると言い出す。今回は本物だろうと勇み立った一行が、その現場についてみると、犬が地面に穴を掘っている。追い払って近寄って見ると、犬が掘った穴が見える。その穴の下に死体が埋まっていたのである。

これで一応、事件は解決に向かう。警察の役割は、証拠としての遺体を発見するまでで、その後は、検察の仕事だ。軍隊は、当初からほとんど役割を果たしておらず、彼らがなぜ犯罪捜査にかかわっているのか、いまひとつはっきりしない。

死体捜査というメーン・プロットに並行して、主要な登場人物のさまざまな事情が語られる。警部には病を患う息子がおり、検事は不可解な死亡事故へのこだわりがあり、監察医にはトルコの監察制度への不満がある。そうした個人的な事情が、それぞれの人生模様となって、トルコ人の生き方を強く感じさせる。そういう点では、非常に見甲斐のある映画である。






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