ピョートル・ヴェルホーヴェンスキーと革命運動組織:ドストエフスキー「悪霊」を読む

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小説「悪霊」は、ネチャーエフ事件をきっかけに書かれた。ネチャーエフ事件とは、革命運動組織の仲間割れからおきたリンチ殺人事件である。それをネチャーエフが主導した。この事件では、80名以上の組織メンバーが検挙されたが、ネチャーエフ本人は外国に逃れた。ドストエフスキーがこの小説を書いたときには、まだスイスあたりで活動していた。そのネチャーエフに相当する人物がピョートル・ヴェルホーヴェンスキーである。

ピョートルは要領がよく、また組織能力の高い人物である。なにしろ、生まれて以来初めて訪れた町で、大勢の有力者と親しくなったばかりか、五人組と称する革命組織をあっという間に立ち上げてしまうのだ。しかもかれらを主導してとんでもないことまで実行する。リンチ殺人とか、自殺幇助という形をとった事実上の殺人である。余程の組織力がなければ、そんなことはできない。

ところがピョートルの行動には、謎の部分が多いのである。彼は一応革命運動の組織者である。組織者というのは、思想的にはっきりした態度をとり、しかも自立性がなければなるまい。ところがこの小説の中のピョートルは、確固とした思想をもった人物のようには描かれておらず、また、自立性も強いとはいえない。かれは、ニコライ・スタヴローギンの配下のように振舞っているのである。仲間たちに対しては、自分はインタナショナルの指示を受ける立場にあり、自分がかかわったこの五人組と同じような組織がロシア全国に無数にあるというようなことを言っているのだが、かれがインタナショナルと直接つながっているというようには書かれていない。インタナショナルにつながっているのはニコライとされているのである。そのニコライの権威を利用することで、ピョートルは自分自身の権威を基礎づけようとしている。ところが当のニコライは、インタナショナルとも、またいかなる革命組織ともかかわりがないようなのだ。ないようなのだ、というのは、小説自体がそのことに触れていないからだ。

ピョートル・ヴェルホーヴェンスキーはステパン先生の息子である。だが、かれが父親と逢ったのは、この小説に登場する以前に二度しかない。生まれた時と、学生時代に一度逢った時だけである。生まれた時のことは覚えていないだろうから、実質的には一度逢ったきりだということになる。だから、かれが父親のリベラルな思想に感化されたということはない。かれが思想的な影響を受けたのは、ニコライからである。そのニコライをあまりにも崇拝してしまったために、かれはニコライの同意のもとに革命運動に頭を突っ込んだという形になっている。彼自身が、自分はニコライの指導を受けて運動に邁進していると思い込んでいるのである。そのちぐはぐさが、ピョートルの謎の多い行動の原因となっている。

ピョートルは、事実上生まれて初めて訪れた町で、町の名士たちと懇意な関係を築いたほかに、五人組と称する革命組織を立ち上げる。その組織のメンバーは、かれの父親であるステパン先生の弟子たちであり、したがってリベラルな考え方の持ち主だった。そのリベラリズムをピョートルは過激化させて、革命運動に巻き込んだということになる。しかし短期間にそこまでやったということは、ピョートルの組織能力が並々ならぬものだったことを物語っている。

だがピョートルは、革命運動を担うべき組織を立ち上げたはいいが、肝心の革命運動そのものを実施しようとはしていない。シュピグーリン工場の争議についても、ピョートル自身はまったくかかわっていない。メンバーのだれかが労働者をたきつけた可能性が指摘されているだけである。では、その肝心の革命運動のプログラムをピョートルはどう考えていたのか。どうやら、自分自身の考えは持っていないようである。それについては、ピョートルはニコライから具体的な指示がもらえると思っている。ところが、そのニコライが途中で姿を消してしまう。取り残されたと感じたピョートルが、自分でやろうと考えたのは、シャートフの殺害くらいなのである。

ピョートルの先導する五人組によるシャートフの殺害が、この小説最大の山場のひとつである。殺害の理由は、シャートフが自分たちを密告する可能性が強いというものだ。シャートフ自身には、そんなつもりはない。だから、ピョートルの妄想といってよいのだが、その妄想が五人組を動かすところに、ある種の不気味さがある。メンバーの中には(ヴィルギンスキー)、ピョートルのシャートフに対する個人的な怨恨がかれに殺意を抱かせたと指摘するものがあるくらいだ。ほかにも殺害に反対する意見が出たが、ピョートルは強引にシャートフを殺害する。直接手をくだしたのはピョートルだが、リプーチンとエルケリもそれに手を貸した。

リプーチンは、キリーロフの自殺幇助についても、ピョートルに従っている。かれはその時点では、ピョートルを全く信用しておらず、すぐにも五人組から足を洗うつもりになっていたのだったが、どうも余計なことに頭を突っ込みたがる傾向があって、とことんまでピョートルに付き合ってしまうのだ。五人組のメンバーの中には、リャムシンというユダヤ人がいて、これがシャートフ殺害について官憲に密告する。その密告にしたがって、五人組は検挙される。だが首領のピョートルはすばやく外国に高跳びして、逮捕を免れるのである。そのあたりは、ネチャーエフ自身の行動そのままである。

こうしてみると、ピョートルとかれが立ち上げた五人組は、革命運動のための組織を標榜しながら、実際にはなんら革命的な行動はしていない。かれらがやったことは、疑心暗鬼の末の仲間殺し(厳密には元の革命運動仲間の殺害)である。そこが、一時期日本を騒がせた、連合赤軍のリンチ殺人事件と似ているというので、この小説はたいへんな関心を呼んだものだ。日本では、ドストエフスキーの小説の中でもっとも重要視されるのは、いまだにこの「悪霊」なのである。






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