春秋 正法眼蔵を読む

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正法眼蔵第三十七は「春秋」の巻。正法眼蔵の各巻は、基本的には、冒頭で巻の題名の趣旨を説明するのであるが、この巻については、春秋という題名の趣旨への言及はない。この巻は寒暑についての、洞山の言葉を中心に展開する。だから「寒暑」と名付けてもしかるべきところ、なぜ「春秋」にしたのか。道元の意図を知ることはむつかしい。題名ばかりではない、書かれていることの内容もなかなかむつかしい。

この巻は、洞山とある僧との次のようなやり取りから始まる。僧が「寒暑到來、如何が廻避せん」と問うたところ、洞山は「何ぞ無寒暑の處に向つて去らざる」と答えた。僧が「如何ならんか是れ無寒暑處」と聞くと、洞山は「寒時には闍梨を寒殺し、熱時には闍梨を熱殺す」と言った。いかにも人を馬鹿にした洞山の受け答えだが、これについて道元は次のように評釈する。

道元はまず、このやり取りが意味するところを、さまざまな人たちがいろいろに商量してきたと断ったうえで、それらの商量のほとんどは的外れだったとほのめかす。そして、寒さとか暑さというものは、それ自体としての寒さ暑さであって、それをなんとかしようとしてできるものではない、という趣旨のことを言う。寒さとか暑さを理屈で論じても意味がないということか。

寒さ暑さを理屈で論じることの無意味さを知っていた人として、道元は枯木禅師をあげる。枯木禅師は次のように言った。みなは洞山の言葉をいろいろ推し量って、洞山は僧が偏に偏っているところを正に引き戻したのだというが、それは浅はかな考えである。彼らは洞山が正と偏との関係について正しい理解をしていたなどというが、それは贔屓の引き倒しである。洞山はそんなことを言っているわけではない。洞山が言っていることは、寒さとか暑さを理屈で論じても無意味だということである。

宏智禅師もまた寒さ暑さを理屈で論じても無意味だと知っていた、と道元は言う。宏智は洞山のやり取りを囲碁にたとえて、囲碁と言うものは、他人と対局しているように見えて、実はひとりで打っているもので、自分の心の中で相手と出会うのである。それと同じように、暑さ寒さも自分の心の中でのことにすぎない、と言いたいかのようである。

洞山の言葉はさまざまに商量されたほかに、詩偈でもって頌古されてもきた。道元は、圜悟禅師以下六人の高僧の詩偈をとりあげて簡単な注釈を加えながら、最後に次のようにまとめている。これらの僧たちは、洞山の言葉を勝手に解釈しているが、洞山の言葉の真意をわかっていない。だいいち、かれらは洞山のいう寒暑を現実の寒暑と思い込んでいるが、仏道でいう寒暑は、そんなものではないのだ、と。「佛道の寒暑、なほ愚夫の寒暑とひとしかるべしと錯會することなかれ」。

なお、巻の奥書に、「寛元二年甲辰在越宇山奥再示衆」とある。寛元二年に道元は越前の山奥にあって、永平寺の建立を待っていた。この巻はその間になされたものだろう。再示衆とあることから、一度だけではなく、二度なされたのであろう。この頃の道元は、非常に活発で、正法眼蔵の多くの部分がこの時期に書かれている。






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