保守論壇の劣化

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ジャーナリストの斎藤貴男が雑誌「世界」2018年12月号に寄せた小文「体験的『新潮45』論」のなかで、最近の日本における保守論壇の劣化を嘆いている。斎藤によれば、保守論壇の劣化は、小泉政権の頃から始まったのだそうだ。この頃から、保守論壇は権力にこびるようになり、"保守政権に無条件で服従しない奴はみんな敵だ、サヨクだ"と叫んで、ネトウヨ化してきたということらしい。今回起きた「新潮45」の廃刊事件は、そうした保守論壇の劣化を象徴するもののようだ。

小生は、「新潮45」を読んだことがなく、したがって「新潮45」の廃刊が保守論壇の動向とどういうかかわりがあるか、見当もつかなかったが、斎藤によれば、ネトウヨ化した保守論壇の行き着く先をあらわしており、したがって自業自得だったということになる。

斎藤が、こう言って保守論壇の劣化を嘆くのは、かつてはもっと幅広い意見に胸襟を開き、したがって開かれた議論に前向きだったという過去があるからということらしい。斎藤自身、そうした保守論壇を代表する雑誌に記事を書き、開かれた議論に参加したこともあった。しかし、いまでは、斎藤のような穏健なライターにも、保守論壇系の雑誌がページを割く余裕はなくなっている。その結果、サヨクの牙城といわれる「世界」に寄稿するような事態になったのだろう。

「新潮45」についていえば、これはメディアによる安倍政権への意趣返しと言う面もあるのだと斎藤は言っている。メディアは、いまでは公然と安倍政権を批判する勇気がない。そこで安倍政権の周辺で起こったスキャンダルを取り上げて、それを叩くことで、間接的に安倍政権を批判しているというのだ。今回やり玉にあがった杉田水脈という女代議士は、政治的影響力はゼロに近いが、安倍チルドレンとして知られているし、本人もそれを自覚している。だから、この代議士を叩くことは、間接的に安倍政権を批判することにもなる。そんないじらしい思惑が、杉田を擁護した「新潮45」を除いて、今回の事態の陰には隠れていた。だから八つ当たりのようなものだというのだ。もし本当だとしたら、なんとも情けない話だ。

こうした斎藤の指摘には、日本の言論の状況についての強い危機感がこもっている。斎藤は、そういう状況を前にして、「もはや反知性とさえ形容できなくなったこの国の言論を回復させ、むしろ高めていく舞台を用意すること」が必要だと強調しているが、果たしてそのような舞台が、今の日本で用意できるのか。先日小生は、久しぶりに書店の雑誌コーナーをのぞいてみたが、そこには「正論」のような雑誌のほか、排外主義を煽り立てるようなものばかりが並べられ、穏健な雑誌を見ることはなかった。





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毎回、取り上げられる広範な話題やテーマにいつも感心しながら読ませていただいています。実はこんなことは滅多にないと私は思うのですが、本日の「保守論壇の劣化」の中の次の言葉遣いには非常にがっかりしました。それは次の一文です。「その結果、サヨクの牙城といわれる「世界」に寄稿するような事態になったのだろう。」なぜがっかりしたのかというと、私は2011.3.11以来、『世界』を欠かさず読むようになった人間だからです。文中の「といわれる」というなにやら客観めかした言葉遣いがわざとらしくて不愉快極まります。正直言って、今日は私は筆者に裏切られた思いがしてなりません。以上

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