移民社会への覚悟

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雑誌「世界」の最近号(2018年12月号)が「移民社会への覚悟」と題した特集を組んでいる。安倍政権が打ち出した実質的な移民推進策への反応だろう。安倍政権は、「これは移民ではない」と言い訳しながら実質的な移民の受け入れを進めようとしている。その背景には深刻な労働力不足があり、経済界からの外国人労働力の受け入れ要請がある。こうした事情を背景に、この特集は、日本の移民政策の問題点を指摘しているのだが、その論調には、やや首をかしげたくなるところがある。収められた論文の多くに、移民はいいことだ、あるいは避けられないことだという前提があって、日本が移民受け入れ国家としてどう対応していくかといったことばかりが強調され、そもそも移民政策がこの国の未来にどのような意味をもつのか、そしてまた、移民受け入れを拡大していくことが本当にいいことなのか、といった本質的な議論が置き去りにされている感じがあるからだ。

論者がそろって指摘しているのは、日本の政権の欺瞞性である。日本は外国人労働者をこれまでかなりの規模で受け入れてきているが、それらの人々を単に労働力として取り扱い、人間としては遇してこなかった。その結果、外国人労働者の多くが無権利状態に置かれ、場合によっては奴隷的境遇に貶められている。そうした実態に目をつぶって、新たに大量の外国人を移民として受け入れれば、矛盾は拡大した規模で再生産される。だから、本格的な移民政策を進めようとするなら、外国人を人間として受け入れるにふさわしい施策を整備しなければならない。このような議論が、これらの論文の主な内容である。たしかに、そうした議論には首肯すべき点もある。外国人労働者をめぐる矛盾に目をつぶったまま、新たに外国人を、今度は移民を前提に受け入れれば、矛盾が拡大することは目に見えている。そうした施策は、いまでも悪評の高い日本の外国人労働者政策を、国際的な批判にいっそうさらすことになるだろう。

しかし、そうした理屈は、移民の受け入れが必要だという前提に立って、初めて成り立つことだ。移民を受け入れる確固とした意志がなければ、そんな議論をすることに意味はない。安倍政権が、実質的に移民を受け入れる方向に舵を切りながら、「これは移民政策ではない」と言っているのは、移民政策に不可欠な条件整備をする意思がないからだろう。本音のところでは、従来と同じような、使い勝手の良い外国人労働者を受け入れて、経済界の要請にとりあえず応えてやろうということではないのか。

この特集は、安倍政権のそうした目論見をけん制して、実質的な移民政策を推進するのなら、外国人を人間として受け入れるに必要な措置をとるべきだと主張しているわけである。その前提には、これからの日本にとって、移民は必要不可欠な存在であり、かれらを積極的に受け入れていかねばならない、という認識がある。そうした認識はどこから来たのか。そう疑問を呈するわけは、移民受け入れを不可欠にしている原因とはなにかという、その肝心な点が、この特集の記事からは伝わってこないからである。伝わってくるのは、移民を受け入れるためには、受け入れにふさわしい条件を整えてやるべきだ、ということくらいである。中には、近未来の日本は、人口の一割くらいの移民を受け入れるべきだと言っているものもあるが、その根拠はあきらかではない。ただ、移民社会は、いまや世界の潮流であるから、日本もまたそれに乗るべきだという能天気な主張が繰り返されるばかりである。これでは、まともな議論とは言えない。まともな議論をするためには、未来の日本にとって、移民がどのような意義をもち、それを受け入れることで日本社会がどのように変わっていくか、それらについてしっかりした議論をしたうえで、どのような形で、どれくらいの規模で移民を受け入れるかについて、長期的な展望を持たなければならない。ところが、今の日本には、移民を受け入れようとする者にも、それを批判する者にも、こうした展望があるとは言えない。そういう状況で、実質的に移民を受け入れていくことは、将来に向けて大きな禍根を残すことにつながる。

小生は、「正論」を吐きたがる人たちやネトウヨの連中のように、外国人を排斥する立場には立たない。しかし、未来への確たる展望を欠いたまま、移民をだらだらと受け入れていくことには強い違和感を覚える。受け入れるについては、やはり国民的な議論が必要だ。その議論を踏まえて、移民についての国民的なコンセンサスを確立し、国民の理解と協力を得ながら、移民を受け入れていくべきだろうし、また、そもそも移民に頼らないで、日本人が自力で未来を切り開いていくという選択肢もあるだろう。これからの人口減少傾向を踏まえれば、そうした選択は、かなりの経済的な混乱をともなうのは避けられない。しかし、人間というものは、経済的なメリットだけを追求する生き物ではない。人間の幸福というものは、経済的な豊かさだけで決まるものではなく、さまざまな要因からなっているものだ。ところが、とりあえず移民政策を推進しようとしている者も、それを批判している者も、移民の必要性を経済的な理由だけで基礎づけている。労働力が長期的に減少していけば、いままで日本人の生活を支えて来たインフラが維持不可能になる。だから、労働力の規模を維持するために外からの移民が必要だ、という単純な理屈がまかりとおる。しかし、世の中はそんな単純なものではあるまい。





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このカテゴリーへのコメントは十人十色になるので控えようと思っていたのですが、やはり少し発信したくなりました。
移民政策という言葉そのものが、私は差別化、自国本位の響きがあり好きな言葉でありません。そもそも日本はなぜ戦後これほど急速に欧米に並びさらに追い越して豊かになったのかを考えると、自国を取り巻く情勢が平和であったことが最大要因です。見方によっては日米安保の傘があったため、日本は産業発展にまい進できたと考えます。明治以来日本も貧しい時期に南米、アメリカなどに多数の移民を出しました。移民は貧困から生まれ貧困は自国内に多くの紛争を発生させ、またその状況に諸外国が干渉することにもつながります。移民受け入れをどうするかだけでなく、これほど豊かになった国の義務として、貧困国に移民を生じさせないような本格的な働きかけをすべきと思います。国内中心に目を向けるのではなく世界に日本はどのように貢献するのか、本来エネルギーにあふれる若者にも大きな生きがい、やりがいにもなる世界の貧困・平和維持への貢献を促す本格的な政策が必要と思っています。政治に無関心な若者が蔓延するのは、本当にエネルギーのやり場がない社会である証です。

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