みずから我が涙をぬぐいたまう日:大江健三郎

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中編小説「みずから我が涙をぬぐいたまう日」は、「父よ、あなたはどこへ行くのか」と姉妹小説のような関係にある。「父よ」では、自分の子どもの頃の父親のイメージ、それは社会から孤立して、蔵の中で、理髪用の椅子に腰を埋めて座っている孤高の人間のイメージであるが、そのイメージを踏み台にして、父親の実像を探り当てようとする主人公のこだわりを描いたものだった。この「みずから」も、やはり主人公の父親へのこだわりをテーマにしている。この小説のなかの父親も、社会から孤絶し、自分の家族すらも謝絶して、蔵の中に一人で閉じこもる父親のイメージをもとにして、その父親の実像を探りあてて、それを同時史という形で表現したいという主人公の強いこだわりがテーマである。それらのこだわりは、それぞれに異なった結末を得る。「父よ」においては、父が社会から孤立した理由は俗世的なものだったということだが、この小説では、父親が社会から孤絶したのは、それなりに深刻な理由によることがわかった。もっともその理由を、主人公が納得したわけではなさそうなのだが、彼が父親について抱いていたわだかまりが多少は氷解する体のものではあった。

小説は、主人公が自分の遺言代執行人と名付けるところの妻への口述筆記という体裁をとる。その口述筆記の合間に、おそらく主人公自身による背景説明が挟まれる。その部分の主人公を、語り手は「かれ」と称して、あたかも第三者の記述のように思わせるところがあるのだが、実は語り手である主人公の独白に違いないのだ。語り手である主人公が自分を「かれ」と呼ぶのは、口述筆記の部分においてもかわらない。要するにこの小説は、基本的には語り手による一人称の語り物のはずなのだが、体裁上は「かれ」を主役とする三人称の小説という体裁はとっているものの、内実的にはすべて語り手である主人公の独白なのだ。

独白であるから、その文体はかなりユニークなものだ。大江は、「父よ」においてすでに、かなり独特な文体の導入を試みていたが、この小説に到って、その試みが一定の実を結び、日本文学としては前例のない、きわめてユニークな叙述スタイルを確立したと言える。こうした独白体の文章というのは、ある程度論理性を無視して感性にふけることが可能なので、その新しい感性をもとにして、比類のない叙述スタイルを模索することができるわけである。そうした模索の前例として、我々は谷崎の「卍」をもっているわけだが、大江のこの小説の文章は、谷崎の「卍」の文章とともに、日本文学に新たな可能性を切り開いたものと評価することができるのではないか。

「父よ」と同じく、主人公にとっての子どもの頃の父親のイメージが全編をつらぬくモチーフとなり、その父親のイメージをめぐる母親との葛藤がサブモチーフとなる。母親は、「父よ」においては、父親に対する息子の幻想を霧散させるような無残な役割を果たすが、この小説においては、息子の父親への幻想に或る完成された形を与えてやる役割を果たす。主人公である息子は、母親の証言を通じて自分の父親へのイメージを補強し、父親を自分にとっての理想にまつりあげることに成功するようなのである。

その主人公は、末期癌の患者で、死を目前にしているというふうに思い込んでいる。その思い込みは、「おれは、癌だ、癌だ、肝臓癌そのものがおれなんだ! という主人公の叫びで表現される。かれが自分を末期癌患者だと思い込んだのは、父親が膀胱癌をわずらっていて、その最後の栄光の日々に、膀胱から血を流しながら日本のために立ちあがったということに、血縁のつながりを持つものとして、一体的な感情を持ったからだと伝わって来る。その一体感が、部位こそ異なれ、自分自身にも癌を共有することへの欲求をつのらせたらしいのである。

かれが父親の「同時代史」の完成に強くこだわるのは、自分の寿命がもうすぐ切れそうだと思い込んでいるからだ。そんな主人公の思いに、遺言代執行人たる妻が、口述筆記人としてからんでくる。彼女は夫がしゃべる言葉に時折口を挟みながらも、基本的には忠実な口述筆記をしているように伝わってくるが、その筆記の仕方は、公述人を「かれ」と表記しているように、かなり忠実なものだと思わないではいられない。

そのかれが、父親のことを「あの人」と呼んでいるのだが、そのわけは、母親が夫をそのように呼んでいて、息子の彼がそれを踏襲したに過ぎないからだ。妻がなぜ夫のことを「あの人」と呼ぶようになったか。こういう呼び方は、われわれ現代の日本人にも決してめずらしいことではないが、この小説のなかでは、妻が夫をそう呼ぶことに多少のこだわりがあることになっている。ともあれ息子であるかれが父親を「あの人」と呼ぶことに対して、妻は異議を唱える。なぜ父親という言葉に置き換えてはいけないのか、と。それに対して彼は、「ともかくわざわざ『父親』と書きかえないで、そのままあの人と書き続けてくれ、しかも印刷でいえばゴチック活字のように、黒ぐろと文字のまわりを鉛筆でなすって、太くあの人と書いてもらいたい」と指示する。その指示に従って、小説の中では「あの人」とゴチック体で書かれた文字が頻出するのである。

その「あの人」について、息子であるかれが子供の頃に抱いたイメージは、「あの人」が日本の敗戦に先立って、日本を救うために決起したというものだった。子どもの頃のかれは、父親のそうした決起に立ち会っていた。その決起は、日本の徹底抗戦を叫ぶ若手軍人たちが四国の山奥の蔵の中で社会から孤絶して生きている父親のもとへきて、父親を首謀者に担いで決起したというふうに、かれの心には記されていた。

その折の様子を、息子の病状を気づかって四国の山の中から出て来た母親が、くわしく聞かせてくれた。その話の内容は、決起の日が敗戦の翌日だったということなど、かれの思い入れとは多少異なったものがあったものの、基本的には父親の蜂起を、それがどのような意図や背景を伴なっていたかは別にして、一応事実として確認するものであり、しかがって息子の父親に対する畏敬の念を損なうものではなかった。

その父親の最後の日々のエピソードとして、父親が決起する決意を語った部分があるが、その部分とは、父親が自分を天皇陛下と一体化して感じていたということだった。父親や軍人たちは、決起にあたってドイツ語の歌を歌ったのだったが、その歌には次のような思いが込められていた。それは、父親を担いだ軍人たちの歌声だったわけだが、その歌声に込められていたのは、「ワレワレノ軍隊ハ、アノ人ノ指揮ノモトニ決起して、全員死ヌノダ、ソシテコノ軍人タチハ、イマ、デキルカギリ早ク死ニタイト、天皇陛下ガミズカラソノ指デ、涙ヲヌグッテクダサルノヲ待チノゾンデイルト歌ッテイルノダ」という思いだった。

この部分のおかげで、この小説の題名の由来がわかる。「みずから我が涙をぬぐいたまう」という言葉は、それだけ取り出してみると、主語がはっきりしないので、誰が誰の涙をぬぐいたまうのか、もし主語が自分自身であったとしたら、「たまう」という尊敬語は場違いなのではないか、と疑問を呼び起こすところだが、上の文章があるために、この言葉は、天皇陛下が私の涙をぬぐってくださる、と読むことができる。

ともあれ小説は、この部分までは、「あの人」を父親の意味に用いていたのだが、ここでいきなり天皇の意味で用いているわけである。そうすることで、父親と天皇とを強く結びつけたわけである。それを結びつけたのは無論語り手のかれであるから、作者である大江が天皇を美化したとか、逆に茶化したということにはならない。

しかし大江はこの小説の語り手であるかれにこうも言わせている。「これらの軍人たちこそは、死を決して恐れぬばかりか、むしろ死を待ち望む軍人たちなのであり、その軍人たちとともにいまかれは二、三年来の内心の恥の種子であった、オマエハ天皇陛下ノタメニ喜ンデ死ヌカ、ハイ、喜ンデ死ニマス、という国民学校の教室での日々の一問一答における、誰にも打ち明けられぬひそかなためらいと、深夜に実際の戦死を思ってみる恐怖とをやすやす超越して、自分もまた軍隊に加わって死のうとしているのだという、いつのまにかすでになされた選択を、心強く確かめることができた」






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