ロシア正教のイコン

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ロシア正教といえばイコンが思い浮かぶほど、イコンはロシア人の生活に溶け込んでいる。現在ではその美術的な価値が評価され、美術品としての関心も集めている。しかしイコンはあくまでも信仰と深いかかわりがあるので、その面を無視して美術品としてだけ見るのは片手落ちだ。とはいっても、いまでは教会以外の場所、たとえば美術館でもイコンは収集・展示されており、これを美術的な関心から見ようとする人も増えている。我々のようなロシア正教徒でないものにとっては、なおさらのことだ。

イコンはロシア人の信仰であるロシア正教と歩みを共にしてきた。ロシア正教は、ビザンチンの宗教文化を受け継いだことから、イコンもまたビザンチン帝国から入って来た。ロシア人がロシア正教を信じるようになったのは、十世紀にウラジーミル大公がロシア正教を取り入れて以来のことといわれ、以後ロシア人の精神生活を導いて来た。

イコンはもともとビザンチンで発達したもので、ギリシャ美術の影響を強く受けていると言われている。それがロシアに入って来ることでロシア化した。その場合、イコンがキリスト教の偶像崇拝禁止に触れるのではないかとの懸念が起り、イコン排斥の運動がたびたび起こった。そのたびにロシア正教の指導者は、さまざまな理屈をつけてイコンを擁護してきた。イコンが民衆の宗教生活に深く溶け込んでいる現実を無視できなったのだろう。実際民衆は、教会でイコンを拝む外に、自分自身の個人的なイコンを持ち、日々それを礼拝する生活をしていたのである。

教会がイコンを擁護した理屈として、イコンは偶像ではなく、神のイメージをそのままあらわしたものだとする考え方がある。したがってイコンは、人の手によって作られた制作物であっては都合が悪い。そこで教会は、イコンは人の手によって作られたものではなく、神の意志によって現れたものだとする見解を採用した。それゆえほとんどのイコンには、人の手によらずして作られたという解釈がなされている。

イコンの美術的な特色としては、色彩の豊かさと造形の独特さがあげられる。造形的には、陰影とか遠近法を無視したきわめて平面的な描き方が特徴である。そうしたイコンの描き方を意識的に取り入れた作家としてジョルジュ・ルオーがあげられる。

イコンの長い歴史のなかでは、いくつかの転換点があった。もともとイコンは人の手によらないとされていた手前、作者の存在は問題とならなかったが、15世紀初頭にアンドレイ・ルブリョフが現れて以来、作者が表面に出て来た。ということは、イコンの美術的な価値が評価されるようになったということだ。

17世紀には、シモン・ウシャコフがイコンをリアルに描こうとする運動を始めたが、これは教会の強い抑圧をうけて主流の流れとはならなかった。今日でも、そうしたリアルな画像のイコンの美術的評価は低い。

ここでは、イコンの歴史上名高い作品を紹介し、簡単な解説を施しながら鑑賞したい。主としてオルガ・メドヴェドコヴァ著「ロシア正教のイコン」(創元社)を参考にした。





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