弁証法的知について

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弁証法は古い起源をもつ哲学タームだが、本格的に用いられるのはヘーゲル以降であり、それをマルクスが引き継いで、マルクス主義が流行した日本では、専ら論争的な色彩を帯びるようになった。日本のマルクス主義が非常に論争的だったせいである。だが、大流行した割には、その内実はいまひとつ明確ではなかったようだ。弁証法とは何かと聞かれて、まともに説明できるものはいなかったといってよい。弁証法とは、定立、反定立を経て総合にいたるとか、ヘーゲルのタームを使って、アンジッヒ、フュールジッヒ、アン・ウント・フュールジッヒのプロセスを経て、ものごとをトータルに把握することだなどと説明する人が多いが、それによって何がどこまで説明できたか、大いに疑問が残る場合がほとんどだ。

弁証法にはもともとは論争的なところはあった。弁証法という言葉自体が論争を前提としているのである。弁証法を始めて本格的に取り上げたのはソクラテスだったが、ソクラテスは論争を通じてものごとの真実を把握するという態度を一貫してとった。プラトンがソクラテスを主人公にした数多くの対話編は、対話という形の論争を展開して見せたものだ。ソクラテスは、人間の知というものは、一面的なものになりがちなので、多くの人々の意見を参照しながら、多面的に見る必要があると考えていた。弁証法とは、ものごとを多面的に見るための方法なのである。

弁証法とは、ソクラテスにあっては、ある意見について、それとは異なった意見をぶつけることで、ものごとを多面的な見地から検討することをいう。ある意見について別の意見を対置することは、最初の意見に対して異論を提出することだから、とりあえずは最初の意見の否定という形をとる。弁証法が否定の論理といわれるのは、そのことに基づく。その否定に対して、さらに第三の見地から異論すなわち否定を提起する。これは否定の否定にあたる。かくして、ものごとについて様々な意見を持ちより、そこから物事の一面的な把握ではなく、多面的な把握をもたらそうというのが、弁証法の核心的な使い方である。

上のプロセスを分解してみると、最初に意見の提起があり、次にそれの否定があり、さらに否定の否定があり、それらが幾度か繰り返されたのちに、最終的な意見の一致を見るということになる。最初の意見の提示をテーゼの定立と言い、その否定を反定立といい、最終的な意見のとりまとめを総合というのが、ヘーゲルのやり方である。ヘーゲルは、定立-反定立-総合という具合に、三段階に単純化しているが、実際にはもっと複雑なプロセスをとるわけである。

弁証法が意義をもつのは、人間の認識能力が有限だからである。ある物事について、それを一瞬にしてしかも十全に把握することは、人間の能力からしてできない。たとえば、一軒の家を見るについても、人間の目では、家の全体像のうちほんの一部を見ることができるだけである。たとえば、私はその家の前面を見ているだけであり、その家の側面とか背面は見えていない。そこで、私は自分の見ている家の前面だけをもとに、これが家の全体像だと言う場合、家の背面を見ている人は、それとは違うイメージを家の全体像だと主張するかもしれない。それぞれの人によって、家の見え方は違うのだから、そこに対立がおこる。その対立には理由があるので、要するに人間の有限な認識能力が、家の全体像を、一瞬にしてしかも十全に把握できないことからくる。

弁証法というのは、こうした人間の有限な認識能力を補うための知恵なのである。家について、多くの人々がそれぞれの見え方を持ち寄れば、家の全体像が明らかになるはずだ。ある人は家の前面のイメージを持ちより、ある人は背面のイメージを持ちより、ある人は家の内部のイメージを持ち寄り、あるひとは上空から眺めたイメージを持ち寄る。それらを総合すれば、視覚的なイメージとしての家のイメージは完璧なものに近づくだろう。

以上のプロセスは、複数の人びとが同じ主題について意見を寄せ合い、その主題についての完璧に近い認識に達しようとするものであるが、これとはほかに、一人の人間がある主題について完璧な認識にいたるような場合もある。この場合には、時間がポイントになる。人間の認識能力は有限なものなので、一時に認識できることは限られている。家を見るについて、一時に見える範囲は、家のただ一つの面にすぎない。その見え方は、文字通り一面的である。人間の認識能力というものは、一面的になりがちなのである。多面的に見ようとすれば、時間の幅が必要になる。まず、家の前面を見た後で、やや時間をおいて別の側面をみる、それを繰り返すことで家の全体像が浮かび上がってくるわけだが、それには一定の時間が必要になる。人間の認識というものは、時間の幅を前提にしているものなのだ。

これは、一人の人間が、時間の幅のなかで多数の人間の役割を果たしたとも言える。弁証法とはもともと多数の人間の論争を前提としたものなのだが、一人の人間のなかで多数の意見のやり取りと同じものが演じられるような場合にも弁証法と同じようなプロセスが進行する。ヘーゲル以降の弁証法の概念は、むしろ一人の人間の内部での認識のプロセスを問題としているのである。一人の人間が、自分の認識能力の限界を乗り越えるために、時間の幅のなかで対象についての多面的な観察をするプロセス、それは本来の弁証法同様、定立と反定立の無限の繰り返しという形をとるが、そのプロセスをもヘーゲルは弁証法といった。今日では、一人の人間の内部での弁証法的な認識のほうが哲学的に重要なことと見なされている。

多数の人間の間での論争と個人の意識を舞台とした認識のプロセスと、両者を通じて弁証法的な認識というものが問題となった。そのポイントは、人間の認識能力には限界があり、一面的な見方しかできないように出来ているから、なんとか多面的な見方をして、ものごとの全体像の理解をしたいという望みであった。そういう人間の望みに、弁証法は応えてくれるわけである。というか、人間の認識能力の限界を補うものとして、弁証法が大きな意義を持たされたといってよい。

論争を通じて真実を明らかにするというのは、わかりやすいが、一人の人間の意識を舞台に真実を浮かび上がらせると言うのは、なかなかむつかしい。人間というものは、自分の認識について、往々にして偏った見方をしがちだからである。というのも、人間の目に見えるものは、そのときどきに人間の目に直接見えたものだけで、それがある全体の一部であると理解するためには、それなりの努力がいる。私は、ある家を見る場合に、その前面のイメージと側面のイメージとが、同じ一つの家の異なった見え方なのだと理解する必要がある。家のような単純な対象にあっては、それは比較的簡単かもしれない。しれない、というのは、そうした単純な対象についても、個々のイメージを総合して全体像を浮かび上がらせることに困難を感じる人も存在するからだ。

要するに、人間の意識を舞台とした認識のあり方にとっては、時間の流れのなかで、個々のイメージをひとつの全体像に結び合わせるプロセスがキーポイントになる。この場合全体像は同一者、個々のイメージは同一者の異なった現われという意味で、同一者=同に対する他ということになる。この同と他とのかかわりあいについての認識が、人間の知のあり方を決定づける。





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