泳ぐ男:大江健三郎「『雨の木』を聴く女たち」

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小説集「『雨の木』を聴く女たち」の五番目、つまり最後に位置する中編小説は、先行する四つの短編小説とは多少趣を異にする。というのも、この中編小説は、もともと他の短編小説とは違う問題意識にもとづいて書かれたものだからだ。この中編小説には、小説としてはめずらしく、序文が付されていて、その中で作者は、「雨の木」を主題にした長編小説を書く一方で、それと並行して、いくつかの短編小説を書いていたといい、短編小説はそのままの形で発表できるものとなったが、長編小説は出来が悪かったので、自分はその長編小説から「雨の木」にかかわる細部を削除して、中編小説として書き直し、それに「泳ぐ男」という題名を冠したと書いている。

そんなわけでこの中編小説は、「雨の木」をめぐって互いに深い関わり合いをもつ四つの短編小説群とは、かなり趣の異なったものになったのである。とはいっても作者は、この中編小説に「水の中の『雨の木』」という副題をつけて、これがほかの短編小説と相俟って、「『雨の木』を聴く女たち」という小説集の不可分の要素をなすのだと主張しているようなのだが、他の小説とは違って、「雨の木」が主題として前面に出て来ることはない。前面に出て来るのは、水をたたえたプールなのである。

このプールは、小説の語り手が陥った抑うつ状態から幾分かでも解放してくれる効果を果たすものとして位置付けられている。「雨の木」が、人を死に向かっていざなうものであったのに対して、このプールは人を勇気づけるものとしての役割を持たされているのだ。したがって、雨の木とは全く反対のベクトルを、このプールは持っていることになるのである。

この小説では、語り手がかなり深いかかわりを持った女が殺害されることになっている。その殺害というのも、意に反して殺されたのではなく、自分から望んで殺されたというふうに書かれている。この女には自殺願望があって、それを他人の手を介して実現したと思われる部分もあるのである。

女の自殺願望といったが、それはとりあえず強姦されたいという願望の形をとる。この女には過去に二度も強姦された経験があり、それに基づいて、強姦に対して拒絶反応を抱くのではなく、かえって強姦されたいという願望を抱くようになったのだ。彼女はその願望を、プールで知り合った若い男に向ける。そして、直接には語り手に向って、実際には語り手を通してその若い男に向かって、強姦されたいという願望を語る。ほかならぬあなたから、と。その願望に応える形で、若者は彼女を強姦しようとするが、自分では強姦することができないで、第三の男が強姦する仕儀になる。その第三の男に強姦されたあげくに、その女はくびり殺されてしまうのである。

語り手は明示的な形ではないが、女がくびり殺されたのは、強姦願望の延長としての自殺願望が実現されたのであって、意に反して殺されたわけではないと匂わしている。女が殺されたのは、法的には殺人ということになるが、女が殺されることを願っていた限りにおいては、ある種の嘱託殺人ということもできる。第三の男は、それこそ意に反した形で嘱託殺人の片棒を担がされたわけである。

小説は、女が自分の自殺願望を実現するために、若い男とこの小説の語り手たる僕に向ってくりひろげる異様な言動を書き続けるところからなっている。その言動は、若い男を強姦に向って駆り立てるものであった。その努力が実って、彼女はいよいよ男を挑発し、自分に向っての強姦に駆り立てる。彼女はベンチの上にうずくまった姿勢で、尻を大きく突き出し、性器を露出させたままで自分を縄で縛らせ、若い男に突撃するようにと挑発するのだ。女がそれを望んでいる限り、これは強姦とはいえないだろう。ある種の変態的な和姦である。そうしてまで姦淫されたいと女が願った理由はなにか。それは文面からは明らかにはならない。

小説の終わりに近い部分は、心ならずも女をくびり殺し、追い詰められ自分自身も縊死した男のことがもっぱら語られる。この男は、結果的には女の自殺願望に応えてやったのだから、それを意図したかどうかは別として、人助けをしたということになる。その人助けの対象は、自殺願望を抱いていた女のみならず、若い男も含まれている。この若い男は、中年男が自分にかわって女を強姦し、殺してくれたおかげで、「後戻り不可能の窮地」から脱出することができたのである。

題名にある「泳ぐ男」とは、とりあえずはこの小説の語り手のことだが、かれと同じプールで実戦練習に励んでいる若い男のことも含意しているようだ。その題名に「水のなかの『雨の木』」という副題を付したのは、どういうわけか。この小説が、当初には「雨の木」を主題としていて、それを途中で放棄したという事情があったのなら、「雨の木」という言葉も放棄するほうが理にかなっていると思うのだが、作者はわざわざこの言葉を残した。だが、小説本体の中で「雨の木」が現前することはないのである。






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