新しい人よ眼ざめよ:大江健三郎を読む

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大江健三郎は、「個人的な体験」で取り組み始め、「ピンチランナー調書」で中断していたテーマを、「新しい人よ眼ざめよ」で再開した。そのテーマとは、脳に生涯を持って生まれ、知恵遅れとなった息子との共存あるいは共生である。この共生は、息子がまだ小さかった時には、ある種の調和に包まれて、時には厳しい局面に陥るとしても、基本的には幸福な境地にひたることができたが、息子が成長して、やがて親離れすべき時期にさしかかると、幸福な境地にひたってばかりもいられない。親は次第に老いてゆくし、息子は自立しなければならない。その自立に向けての準備を、親なりにしなければならない。そういう切羽詰まった思いが、大江にこの作品を書かせたのだろう。この作品は、世の中の常識で一人前の年齢になりつつある知恵遅れの息子に対する、父親としての向かい方をテーマにしているのだ。「新しい人よ眼ざめよ」という題名は、この小説の最後の部分で出て来る言葉に関連しているが、この言葉を通じて大江は、知恵遅れの息子の人間としての新たな旅立ちを願っているようなのだ。

親としての大江が息子にしてやれることは、こう言うのもこの小説が基本的には大江にとっての私小説と解釈するからで、その私小説で語り手の役割を果たしているのがほかならぬ大江自身と解釈するからだが、その大江が息子にしてやりたいと思うのは、これから人間として生きていくうえで有用な、というより不可欠な事柄について、しっかりと覚えさすことであった。そのために大江は、それらの事柄をわかりやすく説明できるようにして、それらを息子に覚えさせようと願う。そのわかりやすい説明を大江は、定義という。老いつつある大江が息子にしてやりたいと願っているのは、そうした定義を集めた定義集を作ることなのだが、それがなかなかでき上らない。しかしその一部は別の形で息子によって理解されることもある。この小説は、息子によるそうした理解のされ方と、それについての父親の受け取り方を中心に展開していくのである。

その展開、つまり小説の進行を、大江はブレイクの詩を引用しながら果たして行く。だからこの小説は、鶴見俊輔がいうように、ブレイクの詩についてのコメンタリーとしての性格を併せ持っている。読者はこの小説を通じて、大江という人間の心をフィルターとして介在させながら、ブレイクの詩の深い意味を読み解くことにもなるのだ。

小説全体は七つの短編小説からなるオムニバス形式をとっているが、その冒頭の章で、ブレイクの「無垢の歌」から「失われた少年」の一節を引用している。それは「お父さん、さもないと僕は迷子になってしまうでしょう」という言葉を含む一節で、その部分を大江は「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」のなかでも引用していたのだったが、それは大江とその父親との関係を象徴していたと同時に、大江とその知恵遅れの息子との関係をも象徴していた。大江はこの言葉の中に、自分に依存する息子への父親らしい意識を見ていたのであろう。しかし、すでに少年期を脱した息子は、知恵遅れとはいえ、それなりに自立しなければならない。そんな息子に対して父親である大江は、いつまでも子ども扱いばかりもしていられない。父親としては、息子を自立に向って誘導してやらねばならない。急き立てられつつもなかなか完成できないでいる定義集は、その有効な教育的ツールとなるはずなのだ。

定義集について言えば、大江は、息子が生きていくうえで必要な事柄について、わかりやすく説明した定義をプレゼントしたいと思っているのだが、それがなかなかうまくいかない。定義というものは、論理的に整然としたものと思われがちだが、そうした論理的な必然性が、知恵遅れの息子には負担となって、すんなりとは受け入れられないのだ。息子はそうした論理必然性にもとづく言葉よりも、自分が生きている実践的な感覚から、世の中で生きていくうえでの必要な知識を取り入れているようなのだ。例えば死についての定義。これを息子は、家族が自分に向って呼びかける言葉を手掛かりにして理解しようとするのだ。家族、とくに両親は、自分たちが死んだ後に息子はどうなるのだろうかといつも心配しているのであるが、そうした両親の心配をそれなりに受け取った息子は、両親を心配させないように、自分の方が早く死ぬから、自分のことはそんなに心配しないでもよいという。彼にとって死とは、自分が存在しなくなることによって、両親に余計な心配を与えないことを意味するわけである。

これは極端な例で、親である大江としては、息子に寄り添いながら、時に触れて生きる上で必要なことを理解させようとする。しかしそうした手続きを踏んだ教育より、何気ない事柄の方が、息子の理解力を刺激する。例えば足だ。大江がリュウマチかなんかで足に激痛を覚えた時に、息子が大江を慰めてくれるその慰め方というのが、足を仲立ちにして親子の親密なコミュニケーションを深めるというものだった。この場合には足は、単に歩くために必要な器官であることを超えて、親子のコミュニケーションの回路になっている。そんな具合で大江の試みる定義の作業は、論理的な作業という枠を大きくはみ出してしまうので、なかなか進まないのだ。

ブレイクの詩に戻ると、第二章では次のような一節が引用される。「人間は労役しなければならず、悲しまなければならず、そして習わなければならず、忘れねばならず、そして帰ってゆかねばならぬ、そこからやって来た暗い谷間へと、労役をまた新しく始めるために」

この一節は、大江の息子に対する教育的配慮を物語っているように聞こえて来る。たしかに大江は、この小説のなかで繰り返し、父親らしい気遣いから、息子への教育的な配慮を示すのであるが、そうした親の気遣いとは別のところで、息子は一人の人間として成長していくのである。この小説には、息子のそうした成長ぶりをうかがわせるさまざまなエピソードが散りばめられている。擁護学校での体験とか、自分を差別する者への鋭い視点とか、父親への息子なりの気遣いとかは、そうした息子の成長ぶりを強く感じさせる部分だ。

その成長を大江は、世間の常識に合わせて生きられるようになることではないと、ついに気づかされる。人間には、唯一つの枠にはまった生き方にとどまらず、様々な生き方があるといった、あたり前のことに改めて気づくのだ。小説の最後の章で大江は次のように書くのだが、それはそうした気づきを大江なりに表現したものだ。

「イーヨーは地上の世界に生まれ出て、理性の力による多くを獲得したとはいえず、なにごとか現実世界の建設に力をつくすともいえない。しかしブレイクの言葉によれば、理性の力はむしろ人間を錯誤に導くのであり、この世界はそれ自体錯誤の産物である。その世界に生きながら、イーヨーは魂の力を経験によってむしばまれていない。イーヨーは無垢の力を持ちこたえている。そのイーヨーと僕とが、やがて『雨の木』のなかへ、『雨の木』を通りぬけて、『雨の木』の彼方へ、すでにひとつに合体したものでありながら、個としてもっとも自由である者として、帰還するのだ。それがイーヨーにとり、かつ僕にとって、意味のない生と死の過程であると、誰がいいえようか?」

イーヨーという息子の呼び名は、「我らの狂気を生き延びる道を教えよ」という作品のなかで採用されたもので、大江はその呼び名をこの小説の中でも使っているわけだが、最後のところで、息子がこの名で呼びかけられても応えず、自分の本来の名である「光」という名で呼びかけられると答える場面がある。そのことで大江は、息子が成長して転機を迎えつつあることを表現したかったのだろう。







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