天空の蜂:堤幸彦

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堤幸彦の映画「天空の蜂」は、東野圭吾の同名の小説を映画化したものだ。原子力発電所の危機をめぐって、電力会社の金儲け主義と政府の無責任さを抉り出した作品だ。原作は1995年に書かれており、したがって3.11のクライシスは考慮されていないが、映画のほうは3.11後の2015年に作られたとあって、ある程度3.11の影響を見ることができる。しかし原発の安全性を考えさせることをねらったシリアスな意図はないといってよい。あくまでもサスペンスにこだわった娯楽映画に徹している。

天空の蜂と名乗るテログループが、政府に納入される予定の軍事用ヘリコプターを乗っ取って、遠隔操作をしながら、福井にある原子力施設の上空でホバリングさせる。犯人は声明を出し、全国の原発施設を破壊するように要求する。要求に応えねば、ヘリコプターを原子力施設に突入させると脅す。タイムリミットは、このヘリコプターの燃料が切れるまで。燃料が切れればヘリコプターは自然落下する。それまでに要求に応えろというメッセージだ。

ところがそのヘリコプター・ビッグBには、たまたま一人の少年が乗っていた。このビッグBを開発した技術者の息子だ。そこで課題は二重になる。一つはこの息子を無事救出すること。もう一つは、ヘリコプターの燃料が切れる前に、なんとかしてビッグBを操縦し、最悪の結果になることを防ぐことだ。

犯人は少年の救出には理解を示す。飛んでいるヘリコプターに空中で接近し、直接少年を確保せよという条件でだ。自衛隊の特殊部隊が、この困難な任務にあたる。かれらはヘリコプターでビッグBに接近し、ロープで接続したうえで、そのロープを伝わってヘリコプターに接近し、少年を抱えた状態で、パラシュートで地上に下りようとする。しかし少年があやまって落下してしまう。するとその少年を自衛隊員が空中追いかけていって、というか少年より早い速度で落下していって、空中で少年をキャッチし、そのままパラシュートでおりるという離れ業を演じる。こんなことはありえないように思えるのだが、そこは映画の世界でのこと。人間には不可能はないという設定だ。

少年を救出して多少気が楽になったところで、今度はビッグBを操縦することがめざされる。それと並行して犯人グループの摘発が進む。その結果明らかになったのは、犯人グループは三人からなっているということだった。そのうちの一人は自衛隊を除隊後原子力施設で働き、被爆体験がある男。その男は、自分たちの犠牲の上で原発産業が金を設けていることが許せなかったのだ。もう一人は、映画の主人公である技師の昔からの友人で、この事件にも関与していた。かれは自分の息子が原子力が原因で自殺したことから、原発について深い遺恨をもっていた。そしてもうひとりは、この男の愛人だ。

結局、三人の犯人たちは、死んだり逮捕されたりし、ビッグBはきわどいところで操縦可能となって、原子力施設に突入するという事態には至らなかった。原子力施設をかするようにして、海に落下したのだった。

そこに至るまでには、現場の責任者と原発会社本社との葛藤やら、事件に対する日本政府の対応ぶりがシビアな視点から描かれる。原発会社は、原発の爆発で生じる巨大な犠牲より、金儲けのことを優先し、政府は犯人をだますばかりか、国民まで騙そうとする。その辺は、3.11の教訓を踏まえているのであろう。

こんなわけで、ある程度の社会的な視点と問題意識は感じられるが、上述したとおり、娯楽映画に徹しているので、観客はもっぱら、危機感あふれるサスペンスを堪能するという具合にできている。

なお映画のラストでは、成長した少年が航空自衛隊のパイロットとなって、3.11の事故現場で犠牲者の救出にあたるシーンが出て来る。かつて自分が受けた恩を、こういう形で返しているというわけだろう。日本人が気に入りそうな設定だ。






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