TOMORROW:黒木和雄

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黒木和雄の1988年の映画「TOMORROW」は、1945年8月8日の長崎を描く。この日の翌日8月9日の午前11時2分に、長崎では原爆がさく裂した。それに遡る二十四時間における、長崎の人びとの暮らしをこの映画は描くのである。映画に出て来る人々は、ある家族とその周辺の人々だ。かれらはいずれも自分なりに生きている。そして明日への希望やら、明日に持ち越した用事を抱えている。そんな彼らに平常な明日は訪れなかった。ほとんど全員が原爆の為に、消えてなくなってしまったのだ。そのことを、映画の冒頭で、一人の少年がつぶやく。なぜ大人たちはみんな消えてなくなってしまったんだ、と。

家族は両親と三人の娘、及び一人の少年の息子からなっている。その日は二女(南果歩)が結婚する日で、家に親戚や親しい人たちが集まって祝福をする。二女は市内の病院で看護婦をつとめており、その日も勤務にあたっていて、結婚式には時間通りに出ることができない。肝心な花嫁がなかなか現れないので、両親はじめ一同はやきもきしている。花婿(佐野史郎)は病気のために懲役を逃れているが、そのことを三女は気に入らない。しかし母親は、今の時世で懲役にとられるのは死ぬことを意味するのだから、こうして懲役の心配のない婿さんは理想なのだといってたしなめる。そのうち花嫁が現れて、結婚式が執り行われる。式が済んだ後、二人はささやかな暮らしを始めるのだ。その最初の夜に花婿が花嫁に向って白状することがあると言う。だがなかなか言えないうちに、花嫁は別に急ぐ理由がなければ、明日でもいいではないかと言うのだ。こうして彼らは、明日へと用件を持ち越すのである。

長女(桃井かおり)は臨月の大きな腹を抱えている。そして結婚式が終わる頃から陣痛が始まる。多忙な産婆がなかなか現れないので、母親(馬渕晴子)は大いに気をもむのだが、そのうち酔って現れた産婆は、酔いをさますために頭から水をかぶり、お産の支度をする。産婦の陣痛は夜通しつづき、夜が白む頃に男の子を出産する。こうして長女は明日へと希望をつなぐのだ。

三女(仙道敦子)には恋人がいて、赤紙を受け取ったと打ち明けられたうえで、一緒に駆け落ちしてくれと言われる。しかし三女はそんなことは出来ないと言って断る。彼女は世の中の動きに従順なのだ。そんな彼女を残して、恋人は去っていく。かれにはおそらく明るい未来は待っていないだろうと思わせながら。

この他にさまざまな人たちがそれぞれの立場で明日を待つことになる。花婿の継父は写真館をやっていて、この日は結婚式の様子を記念写真にとった。その写真を今日中に現像して明日届けるつもりでいる。市電の運転手をしている親戚(なべおさみ)は、毎日仕事の合間に妻から弁当を差し入れられることになっているが、明日もそのことを期待している。花婿の親友で捕虜収容所に勤めている軍属の青年は、自分が面倒を見ていたアメリカ人捕虜を死なせてしまって、自責の念に打たれている。かれはその無聊を慰めようと赤線地帯を訪れ、そこで気のやさしい娼婦と出会う。どうやらこの青年はその娼婦と未来を語るようなことになりそうなのだ。

こういう具合に、それぞれの人びとが、皆自分なりに明日を待つべき立場にあることが強くアナウンスされたうえで、その彼らの頭上で原爆がさく裂する所を映し出しながら映画は終るのだ。だからこの映画は、原爆の悲惨さとか戦争の残酷さについて、声高に語るわけではない。にもかかわらず、見る者をして、人間の運命のはかなさを強く印象づけるようなところがある。全体に抑制された画面作りになっているだけに、メッセージはかえって強く響いてくるのである。

黒木映画の常連だった原田芳雄が、この映画の中では端役で出て来る。端役でもそれなりの存在感を示しているところは、原田の貫禄だろう。







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