原子力戦争:黒木和雄

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黒木和雄の1978年の映画「原子力戦争」は、原発事故を絡めながら、日本の原発の問題点を訴えた反原発映画である。それとして明示されてはいないが、福島第一原発が舞台になっている。田原総一郎の同名の小説が原作だと称していて、その田原は福島第一原発に取材して書いたということだが、そこに問題意識として出されていたものが、3.11で表面化したということだ。もっともこの映画は、原作に忠実ということではないらしい。

女が福島原発近くの砂浜で、原発の従業員とともに遺体となって打ち上げられる。警察や東電はそれを心中として片づけたが、地元に駐在する新聞記者(佐藤慶)は、背後に原発の重大事故があり、それを隠滅するために、原発の技術者が心中を装って殺されたのではないかと疑う。そこへ、女の愛人(原田芳雄)がやってきて、女が死んだことを知らないままに、その消息を訪ね廻る。原田を見た佐藤は、原田を使って原発事故の真実をあぶりだそうとする。しかし、原発側は固いガードを張り巡らせて、追求を容易には寄せ付けない。

そのうち、原田の活躍で、原発の重大事故の証拠が見つかり、その証拠をもとに佐藤は真実解明に立ちあがろうとするが、返り討ちのような形で原発側に懐柔され、一方原田のほうは、原発に深い利害をもつ地元の住民たちに憎まれて殺されてしまう。原田を殺したのは、原発に利害を有する住民たちや、かれらと結託した警察であって、そのようなスクラムを組まれては、よそ者の原田を抹殺するのはいとも簡単だといった、シニカルな視線がこの映画からは感じられる。

こんなわけでこの映画は、鋭い問題意識に貫かれた社会派映画である。黒木和雄にはそういった社会派的な面がもともとあったようだが、そういう傾向がこの映画で全面に出て来たということだろう。

原田芳雄の演技がよい。原田には退嬰的なムードを感じさせるところがあるが、この映画の中の原田は、いわゆるスケコマシのチンピラながら、半分は正義感に駆られて悪に立ち向かう。その挙句に、世の中全体を敵にまわすようにして殺されてしまう。その原田の死体が波打ち際で波をかぶりながらシーンなどは、非常に迫力を感じさせる。死んでもなお迫力を感じさせるのだから、原田の演技は並大抵ではない。






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