紙の月:吉田大八

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吉田大八の2014年の映画「紙の月」は、不倫にのめりこんで男に貢ぐあまり横領を繰り返した銀行員の話である。同じようなことが実際の事件としてあったので、それに触発されたところもあるのだろう。また、中年女が若い男に入れ込むことはよくあるようなので、これを見た観客には、思い当たるところがあるに違いない。

中年女が若い男にのめりこむ理由は色々あるだろうが、この映画の中の中年女が若い男に入れ込んだきっかけはいまひとつわからない。ほとんど一目見ただけで、その男に心を許してしまうのだ。しかも自分のほうから仕掛けたといってよい。だからこの中年女は、性的な欲求にかられたのだろうと伝わって来る。女が性的欲求にかられるとどういうことになるか。この映画はその一つのサンプルを教えてくれる。

宮沢りえ演じる中年女は、夫と二人暮らしで、銀行の外交員をやっている。その銀行には、パートでつとめたうえで、契約社員として採用されたということになっている。その外交の仕事で立ち寄った家で若い男と出会う。しかし、その男のことは忘れてしまい、後で街中で出会ったさいに思い出せなかったほどだが、一旦思い出すと、俄然その男が欲しくなる。この中年女は、ほとんど一回の出会いで、その若い男とホテルに行くのだ。

若い男から性的欲望を開放してもらった中年女は、たちまちその若い男と、膠のようにくっつきあう。いまや、その若い男から性的欲望を開放してもらうのが、彼女の唯一の生きがいになる。とにかく、亭主持ちであるにかかわらず、亭主の目を盗んで頻繁に若い男を抱き、あるいは抱かれ、亭主が上海に転勤になると、それをいいことにして、自分は日本に残って若い男と毎日のように抱き合う。

宮沢りえが、若い男と抱き合うところがこの映画の一つの見どころだ。裸になった宮沢りえが、若い男の腹にまたがり、両脚を巻き付けるようにして交合する姿は、なんとも言えずエロチックだ。男の上にまたがり腰を動かすシーンは、何といっても迫力がある。そんなシーンを見せられると、日本の中年女は、若い男を抱いている時が一番輝いているように思われてくる。この映画の中の宮沢りえに限らず、どの中年女もきっとそうなのだろう。

いい年の女が亭主を裏切って若い男に夢中になるのはどういうわけだか、参考のためにと家人に聞いたところが、それは亭主が女房を放っておくからだという。じゃあ、もっとまめに男が女にサービスすれば、こんなことにはならないのかと尋ねてところ、それは場合によるという。それでは、世の亭主はどう女房に接したらよいのかわからないというものだ。

それはともかく、この映画の中の中年女である宮沢りえは、別に亭主に不満があるようには伝わってこない。若い男を抱いたのは、肉体の内部からの突き上げのようなもので、ある種の生理現象だというような雰囲気が伝わって来る。

映画は、この中年女が、若い男と遊ぶ金が欲しさに、つとめている銀行から横領を繰り返すところを、サスペンス風に描き出す。この中年女の横領はある種の確信犯のようなもので、彼女は自分の行為にほとんど罪悪感を抱いていない。それは、彼女の少女時代からの傾向で、少女の彼女は、自分が正しいと信じていることを貫こうとして、父親から金を盗んだのだが、そのことについて罪の意識をもつことはなかった。それと同じように、中年に至った彼女が、若い男との快楽のために、つとめている銀行から金を盗むことは、かつて父から金を盗んだ時同様に、良心に恥じることではない、と思っているらしいことが、画面からは伝わってくる。ある種の人間にはこういうことが起こりがちなものだ、と映画は訴えているようにも見える。

ともあれ、この映画の魅力は宮沢りえの演技にかかっている。彼女は、表情も素晴らしいが、身体演技もなかなかだ。とりわけ濡れ場シーンでは、あやしい姿勢をとりながら、交合による愉悦の表情を見せつけ、観客を悩殺する。成人した男なら、その演技に魅了されない者はいないだろう。





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