日本とドイツ:戦後を比較する(連載開始にあたって)

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日本とドイツは、色々な面で似ていると指摘される。どちらも、19世紀の半ば以降に近代国家の仲間入りをし、驚異的な発展をとげて、遅れて来た帝国主義国家として幾多の戦略戦争を戦った結果、先進帝国主義国家群に撃退されて、一度は瓦礫の山に埋もれた。しかし、その後、さらに驚異的な発展をとげて、再び大国として返り咲いた。今日では、日本とドイツは、まぎれもなく世界の大国である。そんな具合に似ているところの多い日本とドイツだが、違っているところもある。ドイツは、ヨーロッパの盟主としての立場を強固に築き、近隣諸国から信頼されているのに対して、日本はかつて戦争に屈したアメリカにいまだに従属する一方、東アジアでの存在感はあまり芳しいとはいえない。それどころか、孤立しているといってもよいくらいである。「日本は東アジアの孤児である」とは、よく聞かれる言葉である。

どうしてそのような相違が生じたのか。理由は色々と指摘できると思う。両国は似たような近代化のプロセスをたどったように思われているが、よくよく見て見ると、おのずから際立った相違点も浮かび上がっている。最大の相違点は、ドイツがヨーロッパの中央に位置して、フランス、イギリスをはじめ先進帝国主義国としのぎをけずりながら発展したのに対して、日本は極東の島国であり、しかも中国や朝鮮半島はじめ周辺の国は日本以上に発展が遅れていた。そういう状況の中で日本は、福沢の「脱亜入欧」ではないが、周辺諸国を帝国主義的な侵略の対象とのみ捉え、健全な国際関係の樹立を軽視してきた。そういう国柄で、アメリカによってコテンパンにやっつけられたとき、自分はアメリカに負けたのであって、中国はじめアジアの国々に負けたわけではないというような気持ちが強く、それがアメリカに対しては異様に屈従的な姿勢を取らせる一方、中国やその他の東アジア諸国に対しては、妙に開き直った姿勢を取らせているとも指摘できる。日本が「東アジアの孤児」であるのは、自分から主体的に選び取った結果というような側面もある。

こんなわけだから、第二次世界大戦の敗戦から立ちなおるプロセスにおいても、両国にはかなりな相違が見られる。最大の相違は、主として近親諸国との関係を中心とした国際関係の違いだろう。ドイツは、東西冷戦のあおりをうけて国が分裂することから戦後の歩みを始めたわけで、要するにスタートラインからして、国際政治の荒波にもまれてきた。加えてドイツは、ヨーロッパの中央に位置するという地政学的な制約から、近隣諸国との関係に神経を使わねばならなかった。というより、近隣諸国、とくにフランスとかイギリスとかいった先進資本主義国とうまくやらねば国として存続できないといった厳しい条件があった。それに比べて日本は、戦後史を見る限りでは、アメリカとうまく付き合っていさえすれば、なんとか生きていけるという見込みがあった。それに最大の隣国である中国が、社会主義化したおかげで、冷戦の当事者となり、その中国と日本はさっそく敵対関係に立つことになった。それには、日本自身の選択という側面もあったわけだが、とにかく日本は、隣国との強いつながりということを全く考えずに、ただひたすらアメリカの顔色だけを伺いながら、いままで生きて来たということが指摘できる。

日本とドイツの類似点ということでは、どちらも敗戦前には全体主義的な政治体制をとり、国民を動員して大戦争を戦いながら、敗戦後は、基本的には西側の体制に組み込まれ、そこで繁栄を謳歌してきたということが指摘される。しかしそんなに単純なものではない。まず、ドイツは国が東西に分裂したということがあるし、それ以前に国土の四分の一に相当する部分を失うという、耐えがたいはずの事態があった。それに比べれば日本は、たとえば北方領土をいまだに外国に占領されているということはあるが、基本的には失ったものはあまりないといってよい。すくなくともドイツに比べれば、まったく比較にならないほど、軽微な傷ですんでいる。また、敗戦前の政治体制にしても、全体主義という言葉でくくれるほど、共通点ばかりが目立つものだったと単純化できるものでもない。ドイツはヒトラーによる独裁という形をとり、その点では、よかれあしかれ、責任体制が明確だったが、日本の場合には、一応天皇制という形をとってはいたものの、実質は軍部独裁であり、その軍部にあまり責任能力がなかったことはよく指摘されるところである。要するにドイツの場合には、一応統治能力のあるものが責任政治をそれなりに行っていたのに対して、日本の場合には、統治能力に欠けたものがかなり無責任な政治を行っていたという相違が指摘される。

こんなわけで、日本とドイツには、共通するところと相違するところとが複雑に交差するような部分が随所に指摘できる。一番大きな共通点は、両国が敗戦の瓦礫の山から立ち直って、いまではあらゆる点で世界の強国の仲間入りを果たしているという点だ。一方最も大きな相違点は、その外交姿勢だ。ドイツはヨーロッパの一員として、いまやEUの中心としてヨーロッパを指導する立場にある。それに対して日本には外交はないに等しいといってよい。かつて自民党の総理大臣が、外交はアメリカの言いなりになっていればいいと言ったことがあるが、その言葉通り、日本の外交はアメリカの言いなりであり、自主的なところは微塵もない。国家としてこれでよいのか、というような問題意識も論じられたことがない。歴史上稀有な国家といってよい。その自立性のなさを以て、日本は中国や朝鮮半島に向っては、兄貴然とした傲慢な態度を取り続けている。その態度には漫画的な滑稽さを指摘できるほどである。

こういう相違は、日本の歴史に深く根差していると思われるのだが、敗戦後に限っても、相違の芽は多く指摘できる。筆者は、日独両国の戦後を比較することを通じて、その共通性と相違点とを浮かび上がらせ、何がそういったものを生み出したのかについて、ささやかな考察を加えたいと思う。そのことを通じて、日本の望ましい未来のあり方について、いささかなりとも有益なヒントが得られるのではないかと思うのである。もとより筆者は歴史の専門家ではないし、日独両国の戦後史についての知識も極めて限られている。そのような条件であえて日独の戦後比較をしようと思うわけは、日本の将来にどうも危ういものを感じるからである。一方ドイツのほうは、いまやヨーロッパの指導的国家として、ヨーロッパの未来のみならず、世界の未来にとっても主導的でかつ有益な寄与をしようとしている。その両国を比較すると、筆写は日本のほうがドイツに学ぶべきことを多く持っていると思うのだが、ことはそう単純ではないかもしれない。いずれにしても、日独両国の比較を通じて、なにかしら有益なものを得られるのではないか。そう筆者は考えながら、日独比較につとめていく所存である。






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