四条河原図屏風

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京都の四条河原は、室町時代から徳川時代にかけて、芸能のメッカのような様相を呈し、河原に設けた舞台で様々な芸能が催された。この四条河原図屏風は、そうした四条河原での芸能の様子を、観客の表情ともども克明に描き出したもので、単に風俗画であるにとどまらず、芸能史の研究にも貴重な手掛かりを与えてくれる。

二曲一双の図屏風であるが、両隻の画面は連続している。すなわち、中央部にあたるところに鴨川を配し、左隻と右隻それぞれに、河原に設けられた遊興施設が描かれる。左隻の施設は、入り口の看板からみて、西洞院道喜歌舞伎。右隻は佐渡嶋歌舞伎で、どちらも六条三筋町の遊女歌舞伎であった。

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これは左隻の左手上部を拡大したもの。舞台の上では大勢の遊女たちが、あやしげな姿態で踊り回っている。彼女らの内側と外側には三味線を弾く女が描かれており、阿国歌舞伎よりも更に進んだ段階の芸能を感じさせる。

遊女たちは、思い思いの方向を向き、腰をひねったり、手招きの仕草をしたり、かなり猥雑な雰囲気が伝わって来る。踊りを見る観客も猥雑そのもので、みな勝手なことをしながら踊りを見ている。こうした遊女歌舞伎は、寛永の初期に絶頂期を迎えた。

(紙本着色 二曲一双 静嘉堂文庫 重文)





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