手紙は憶えている:アトム・エゴヤン

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アトム・エゴヤンの2015年の映画「手紙は憶えている」は、ナチスのホロコーストをテーマにした作品である。アルメニア起源のカナダ人であるアトム・エゴヤンが何故ナチスの犯罪を描いたのか。この映画の制作にはドイツ資本も加わっているので、ドイツ側からのアクセスがあったのか、よくはわからないが、ホロコースト映画としては一風変わっていて、ナチスの犯罪を糾弾するというより、ホロコーストに名を借りて、風変わりなミステリー映画に仕上げたといった趣の映画である。

90歳になって、妻の死も覚えていないような老人ゼヴが、老人ホームで知り合った別の老人マックスから、ある復讐劇を持ちかけられる。二人はアウシュヴィッツを生き延びたユダヤ人なのだが、ともに家族を殺されていた。その犯人が偽名を使って北米大陸に隠れ暮している。それを見つけ出して、復讐しようというのだ。そこで、マックスがその復讐劇のシナリオを書き、ゼヴが実現するということになる。そのシナリオを書いた手紙を持たされたゼヴは、犯人であるルディ・コランダーを探す旅に出る。そのルディ・コランダーと名乗る人物は四人いることがわかっている。その四人を次々と探索し、本人を見つけ出すのがゼヴの仕事だ。そのゼヴの行動を、マックスは手紙だけでなく、電話を通じてもコントロールする。

かくしてゼヴの旅が始まる。まずクリーヴランドに行って一人目を訪ねるが、これは別人だとわかる。二人目はカナダの病院にいたが、これも別人だとわかる。三人目はすでに死んでいたのだが、その息子と話すことができた。その結果三人目はナチスに共感し、ヒトラーによるホロコーストを賛美してはいたが、自分はホロコーストにはかかわっていなかったことがわかる。だが、その息子というのがくせもので、ゼヴがユダヤ人であることがわかると、俄然攻撃的な態度に出る。身に危険を憶えたゼヴは、その息子と息子がけしかけた犬を銃で撃ち殺してしまうのである。

四人目はネヴァダ州のタホにいた。そこでゼヴは、訪ねた相手が本物であることを確信する。本物とは、アウシュヴィッツのもと刑吏で、名をオットー・ヴァリッツといった。そこでゼヴは、相手にオットー・ヴァリッツと呼びかけ、復讐に来たと告げる。ところが思いがけないことが起る。その男の本当の名はオットー・ヴァリッツではなく、クニベルト・シュトルムといい、オットー・ヴァリッツはほかならぬゼヴだというのだ。その証拠をクニベルトは示す。アウシュヴィッツを逃れる時に、二人はユダヤ人を装って刺青をしたのだったが、それが二人セットの番号だったのだ。

なんのことはない、自分自身がホロコーストの加害者だったことを、混濁する意識の片隅にさとったゼヴは、クニベルトを銃殺して、自分も頭に弾を撃ち込んで自殺してしまうのだ。こんなわけで、ことの真相が最後に、それもどんでん返しのようにして明らかになるという、ミステリー仕立ての映画になっている。だから観客は、ホロコーストの意味について考えるというよりは、ミステリーの行方がどのようになるのかという点に注意を向けられるわけである。

そんな具合だから、この映画はホロコーストをテーマにした社会派映画というよりは、ミステリー映画といったほうがよい。それも、90歳になって重度の認知障害に陥った老人を主人公にして、その老人に、他人の仕掛けた作人劇を演じさせるところが、趣向としては、新しいといえば新しい。だが、あまり褒められた新しさとはいえないかもしれない。後味の悪い作品である。





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