亡友の墓を掃う

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旧友松子が死んで一年が経った。そこで残されたものとしては一周忌の墓参りをしたいと思い、山子が代表をつとめて、未亡人に墓の所在等をたしかめたところ、不案内なものにはなかなか行き当らないでしょうといって、一緒に行ってくれることになった。そんなわけで、彼岸の前日の日曜日に、桜木町の駅で待ち合わせをした(山子夫妻、落子、小生そして未亡人)。墓地は根岸霊園といって、本牧方面にあるのだが、交通の便が悪く、桜木町からバスでアクセスするのがよいというのだ。

二時過ぎに待ち合わせ、バスに二十分以上揺られたあと、墓地には三時ごろ着いた。高台の上にあるかなり広大な墓地で、地元の寺院が共同で経営しているという。その一角が松子の家の菩提寺のもので、松子の墓は比較的わかりやすいところにあったが、初めて来る人には見つけるのがむつかしいかもしれない。墓誌を見ると「釈享徳」という法名が書かれている。釈で始まる三文字の法名は、浄土真宗のものだろう。墓誌にはこれ以外の文字は書かれていないから、これは松子自身が自分のために立てた墓ですかと未亡人に聞いたら、松子の親の代に立てたものだという。

花を供え香を焚いて松子の後生を祈る。小生は無宗教ですが、葬祭の礼儀は有用と思っていますといいながら、あたりを見回すと、寺に連絡をとるように求める張り紙が、あちこちの墓に張られている。未亡人によれば、これは管理費の納入を怠っている人への警告なのだそうだ。その警告を無視していると、やがて墓を寄せられても文句を言えない。私としてはそういうことになりたくないと思っていますので、私の死んだ後は、この墓は寄せてもらって、そのかわりに永代供養の協同墓に入れてもらうように、寺にお願いするつもりですという。自分の死後の始末をいまのうちから考えておくことは、殊勝な心掛けである。

再びバスに揺られて四時ごろ横浜駅に至る。バス停に向かう途中、山子の細君と世話話をするに、昨日はこの近くにある山子の家の墓地に参った由。また、先日は台風がこのあたりを襲って、私の家では八時間も停電しました。お宅はどうでしたかと言うので、小生の家は千葉県といっても東京よりの、東葛地域といわれるところで、千葉県の中でもここだけは停電等の被害をまぬかれたのです。それにしても神奈川県にも停電の被害があったとは意外ですな、と同情めいた言葉をかけた。すると、山子の細君の脇を柴犬が通りがかった。柴犬は、細君の存在など気にかけないといった具合に、不愛想に通り過ぎた。過日山子の細君が雄の犬にえらく恋焦がれられていたことを思い出して、雄犬があなたを無視するなんて、珍しいこともあるのですな、と小生が言ったところ、そうなんですよ、私は雄犬に好かれるたちで、おそらく前世は雌犬だったと思うくらいなんです。そんなわたしを無視するなんて、あの雄犬は狂っているに違いありません、と残念そうに言うのだった。

山子がいうには、西口の駅前の飲み屋に予約してあるので、そこでお浄めをしたいと思う。ところが、その店にはうまい日本酒を置いていないというので、デパートで買い求めて持ち込みをしたいと言ったら、いいですよと言われた。そう言って山子は高島屋の地下に我々を導き、うまそうな酒を選んだ次第。未亡人がこれは故郷の酒ですといった酒(八仙)と、もう一つ別の銘柄の酒を選んで、予約しておいた店に入った次第。

こじんまりとした個室に案内されると、まず先程買い求めた酒で献杯をした。その席に未亡人は松子の遺影を置き、あの人にも一緒にこの場を楽しんでほしいと思います、といった。遺影を見れば、まだ老いる前の顔が映っている。

未亡人はけっこう酒がいけると見える。松子の生前には一緒に晩酌するのがならいだったが、いまは一人ぼっちで、なかなかそういう気にもなれない。また、生前は月に二三回夫婦で旅行を楽しんでいましたが、いまはその楽しみもなくなって、無聊の思いをかこっています、と死んだ夫をなつかしむような言い方をした。この夫婦は、非常に仲がよかったようだ。子どもがいなかったので、一層そうだったのだろう。

未亡人とは、かれらの結婚式の席で会ったのが初めてで、二度目は松子の葬式の時だったわけだが、そのわりには気脈が通じ合って、積年の知友のような気がした。それで、もしよければ、私たちと一緒に旅行をしませんかと山子の細君などはすすめていたくらいだ。

こんな具合で今日は、我々としては旧友のために回向できて心がすっきりしたし、当の松子も喜んでくれたのではないか、そう思った次第である。なおこの日は、横浜でラグビー・ワールドカップの試合が催されていて、大勢の外国人が集まってきていた。なかにはスカートをはいて毛脛をむき出した爺さんたちもいたそうである。





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