ウォー・レクイエム:デレク・ジャーマン

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デレク・ジャーマンの1988年の映画「ウォー・レクイエム」は、ベンジャミン・ブリテンの合唱曲「死者のためのミサ曲」を映画化したものだ。合唱曲の映画化だからミュージカル仕立てになっている。その合唱曲は、戦争詩人として知られるウィルフレッド・オーウェンの詩集を主な材料とし、それにある教会のミサ曲を加えるという形になっている。そのオーウェン詩集の冒頭を飾る「奇妙な出会い」は、イギリス兵とドイツ兵との奇妙な出会いを歌ったものだが、そこにはある物語が含まれていた。その物語をこの映画は、一応メーン・プロットにして、拡散しがちな映像に一定の秩序をもたらしている。その物語というのは、イギリス兵が洞窟の中で出会ったドイツ兵を、かつて自分が殺していたというものだった。そのドイツ兵は、イギリス兵に向って、わたしはお前が殺した敵兵だと言う。それを聞いたイギリス兵は、相手を殺さざるをえなかった自分の境遇を、戦争が強要したことに深い怒りを覚えるというものである。

映画は基本的には、ブリテンのミサ曲を流しながら、それに直接関連するわけではないが、戦争のもたらす暴力のシーンを次々と描くという構成をとっている。それらの映像には相互のつながりはなく、一見して無秩序に継起するように見えなくもないが、注意してみれば、上に言及した物語がはめ込まれていたりして、それなりに物語性を持たせてはいる。だが、映画の主眼は、物語を描くことにあるのではなく、戦争の暴力を描くところにある。その戦争シーンは、主に第一次大戦中の記録フィルムからとられているようだが、それに重ねて俳優による演技や、第二次大戦にかかわるシーンなども出て来る。たとえば広島への原爆投下だ。盛り上がるきのこ雲と、廃墟になった広島の町が映しだされるが、被爆した庶民の表情は出てこない。

第二次大戦後のさまざまな戦争にも言及がある。イギリスのかかわった戦争としてフォークランド紛争があるが、その紛争を映したと見られる場面も出て来る。また大量の頭蓋骨が映し出されるが、それらはカンボジアのポルポトの犠牲者だろう。戦争シーンのなかには、負傷した兵士をカラーで映したものもあるが、それらはあまりにもリアルで見るに堪えない。おそらく実写だろうと思われる。

ジャーマンは、暴力を描くことにこだわるところがあるが、この映画には、その暴力がむき出しの形で表現されている。究極の暴力は戦争だというメッセージも込められている。そのメッセージを聞かされると、ジャーマンは暴力否定論者なのかと思わせられる。また、その暴力の主体である権力への嫌悪も感じさせられるように出来ている。国家は国民に忠誠を強要するが、大いなる愛は国家への忠誠ではなく、もっと別なところにある。我々は敵に憎しみを抱いたりはしない。そんなメッセージが表明される。

映画は、原作のミサ曲をほぼそのままに流している。そのミサ曲は、オーウェンの詩と教会のミサ曲とを交互に挟むことから成り立っている。まず冒頭のシーンで、一老兵に「奇妙な出会い」を読ませ、続いて教会のミサ曲とオーウェンの他の詩とが、合唱という形で交互に歌われる。そしてそれぞれの合唱に合わせて、さまざまな戦争シーンが披露されるという具合である。中にアブラハムとイサクにかかわるエピソードが出て来るが、これは教会のミサ曲「神の子羊」を表現したもの。映画では、アブラハムはイサクを殺すことになっているが、それはジャーマンのこだわりなのだろう。

こんな具合でこの映画は、ブリテンのミサ曲をミュージカル風に映画化したといえるのだが、それにジャーマンなりの戦争批判を盛り込んだといったところか。制作意図が戦争批判ということからか、ジャーマンの映画を彩って来た同性愛は、ここでは直接には露出してはいない。






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