花筐:大林宣彦

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花筐というと、世阿弥の能を想起するが、大林宣彦の2017年の映画「花筐」は、筋書きの上では殆ど関係はない。「殆ど」というのは、映画の一部で、花筐らしい仕舞の一部が披露されるからだ。筋書きの上では、檀一雄の短編小説集に取材しているらしい。こちらは、筆写は未読なので、どこまで原作を生かしているのかは、判断できない。

テーマは、大東亜戦争中の若者たちの青春群像を描くことにある。三人の若者と、三人の娘たちが出て来て、初恋らしい心のときめくようなやり取りが展開される。その展開のされ方と言うのが、大林流の凝ったものなので、観客は、半ば幻想的な雰囲気を堪能しながら、若者たちの青春の甘さと苦さを感じ取るというわけだ。

戦争が、大きなモチーフとして盛り込まれている割には、陰惨なイメージは感じ取れない。戦場の場面は出てこないし、人々の戦争に対する見方・感じ方も、丁寧に描かれているとはいえない。ただ、若者の一人は、肢体不自由のおかげで、徴兵検査に合格できないでいることを、俺は非国民だといって自嘲するところが、目を引くくらいだ。当時は、肢体不自由のために、お国の為に役立たない者は、非国民といって罵られたようだが、非国民でも何でも、強制されて死ぬよりは、生き残る方が、ましではないか。

実際この映画に出て来る青春群像は、主人公の一人を残してみな死んでしまうのだ。その主人公が戦場に行ったのかどうか、そのことを映画は語らない。肢体不自由の青年は、戦闘行為以外の理由で死んだのだろう。また三人の娘たちのうちの一人は、末期の結核患者だったことから、これは病気で死んだのだと思われる。残る二人の娘たちは、おそらく空襲かなにかで死んだのだろう。

この映画の舞台となった九州の唐津は、造船所があったことから、米軍による爆撃を受けた。その爆撃のとばっちりを受けて、命を落とした人は多かったに違いない。唐津はまた、おくんち祭でも知られている、その祭の様子が、映画の中でも紹介されていた。その紹介の、大林によるやり方は、大林らしく、仰々しいものだ。

常盤貴子演じる後家が、怪しい魅力を発散しているばかりでなく、その魅力で、若者の一人を誘惑するところが一つの見どころだ。いくら魅力があっても、年増女がハイティーンの少年と性的関係に陥ることは考え難いが、その考え難いことが、常盤貴子が演じると自然に見えるから不思議だ。

少年達が、売春宿に迷い込んだときの、そこの娼婦を池畑慎之介が演じている。池畑はピーターという源氏名で、丸山明弘とともに、日本のトランスジェンダーの先駆者として活躍した人だ。そのトランスジェンダーの池畑が、年増の娼婦を演じると、並みの女よりも女らしく見えるからすさまじい。トランスジェンダーで女を演じるものを、昔はオカマと呼んだものだが、その呼称が何に由来しているのか、小生にはわからない。






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