北のカナリアたち:阪本順治

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阪本順治の2012年の映画「北のカナリアたち」は、ミステリー仕立ての人情劇といったところか。北海道の離島を舞台に、かつてそこで学んでいた六人の子どもたちと教師とが、二十年ぶりに再会し、一旦は失われた人間同士の触れ合いを取り戻すというような趣向だ。それだけだとただのお涙頂戴映画になってしまうので、そこにミステリーの要素をからめてある。そのミステリーを、主演の吉永小百合が心憎く演じる。彼女のおかげで、観客は一杯喰わされたかたちになるのだが、なにせそれを演じているのが吉永小百合とあって、化かされたと言って憤慨するわけにもゆかないのである。

二十年間やってきた図書館の司書の仕事を定年退職でやめて、温泉でのんびり過ごそうかと思っている吉永小百合のもとを警察が訪ねて来る。かつて北海道の離島の学校で教えていた六人の子どものうちの一人(信人)が、殺人を犯したというのだ。驚いた吉永は単身北海道に渡り、かつての教え子(それは信人以外の五人だが)を次々と訪ね廻っては、それぞれの近況とか、信人とのその後のかかわりとかを聞く。それを見ている観客は、吉永が事件の手がかりを得るために、信人のかつての学校友達を訪ね廻っていると思わされてしまうのだが、実は彼女の目的は他にあった。映画の最後で、逮捕された信人を他の五人に引き合わせ、六人全員で子供時代を思い出しながら歌を歌うのであるが、それを実現させるのが、吉永のそもそもの目的であった、というふうに、どんでん返し風に真相が明らかにされるのである。吉永は警察が訪ねて来た時には、すでにそのことを知っており、信人には島に隠れていなさいと言いながら、彼の他の子どもたちを信人に会わせるために、その手はずを整えていたということが、事後的に明らかにされるわけである。

それはそれとして、教え子とのやりとりの過程で、二十年前の彼女の島での生活ぶりとか、子ども同士の確執とかが描かれる。彼女は夫と共に島の学校(それは生徒が六人しかいない小さな分校)に赴任してきたのだが、夫は末期がんの患者であって余命いくばくもないと診断されている。そんな折に、たまたま生徒の一人が海に転落したのを救おうとして、自分はおぼれ死んでしまう。そんな夫を吉永は裏切ったということになっている。島の警察官との道ならぬ恋に陥ってしまったのだ。その警察官は勤務中に少女殺害の現場に居合せながら、自分では何もできなかったことを後悔するあまり絶望に陥っていた。その絶望に向き合ううちに吉永はかれを愛してしまったのだ。

夫が子供を救おうとして命を懸けている間に、妻は他の男と会っていたという噂を立てられ、吉永は島にいられなくなり、東京へ出て図書館勤めをするようになったという経緯が次第に明らかにされる。そんな彼女が、教え子の殺人という事態に直面して、わざわざ島に戻って行ったのは、途中で崩壊した子どもたちとの人間的な触れ合いを、もういちど取り戻したかった、というふうに伝わるように、映画は作られている。実際映画のラストシーンは、二十年ぶりに再会した七人が時空を超えて一体感を取り戻すようなふうに描かれているのである。

この映画に出た時の吉永小百合はすでに七十歳になっていたが、年を感じさせない。それは吉永の父親を演じた里見浩太朗も同様で、定年を過ぎた娘の父親だから、九十歳になっていても不思議ではないのに、この映画の中の里美は、髪は黒々として背筋は延び、せいぜい初老の男としか思われない。役者とはいえ、たいへんな化け方である。我々観客は、吉永に筋書き上で化かされるだけでなく、彼女らの風貌にも化かされるというわけである。ともあれ、坂本順治の映画としては、一風変わった趣の作品である。映画界の評判はよく、数多くのタイトルを受賞した。






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