トランプ弾劾裁判の猿芝居

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アメリカ上院によるトランプ弾劾裁判は、トランプへの無罪判決を出してあっけなく終了した。トランプはこれで自分の無実が証明されたといって胸を張っているが、ことはそう簡単なものではない。アメリカでは、裁判でクロがシロになること、つまり有罪があきらかなケースが無罪になることはよくあることで、これもその一例といえるのかもしれない。つまり、法形式的には無罪を勝ち取ったからと言って、不正を働いたという事実は消えないわけで、トランプには胸を張る資格はないといってよい。

そんなトランプをあっさり無罪としたのは、上院の共和党が、法の正義より党派的な利害を優先させた結果だ。いまの共和党には、ロムニーを除いては、トランプを表立って批判できる議員はいない。それは下院も同様で、つまりアメリカの国会議員は、国のことより自分の利害しか考えていないということだ。それは議員としての使命を放棄したと同じことで、そんな連中にトランプを裁く能力はないと言ってよい。かれらはだから、弾劾裁判という猿芝居を演じていたことになる。

アメリカの政治制度は、大統領に圧倒的な権限を与えている。その権限が過剰に行使されると、今回のトランプのようなケースが起きる。それをチェックするものとして、議員に一定の機能を与えているわけで、弾劾裁判はその最後の切札となるものだ。その機能を当事者の上院が放棄したということは、場合によってはトランプの独裁を招くものだ。今回のトランプ弁護団などは、アメリカ大統領は、自分がいいと思うことはなんでもすることができると言って、トランプの独裁にお墨付きを与えている始末だ。

トランプはいまや自分を、憲法を超える存在だと思っているフシがある。上院の判決直後に投稿した録画には、自分が未来永劫にアメリカ大統領でいるかの如きメッセージを込めていたが、それはかれの独裁への野望をあらわしたものだろう。そんなトランプを抑えるものがいるとしたら、もはやアメリカの有権者しかいないということになるが、その有権者も両極に鋭く分断されていて、アメリカと言う国は、かつてのような民主主義社会という共通の基盤を失ってしまっている。

ともあれ共和党は、トランプを再選させるつもりである。そのためには、理念を無視して有権者の歓心を買うような政策を取り入れるだろう。トランプ以前の共和党は民主党に比較して政治理念に敏感だといわれていた。その理念をかなぐり捨てて利益誘導に走る兆候が至る所に見られるという(たとえば、電気たばこを合法化し、喫煙者の票を政党の対立を超えて呼び寄せようとするような動きをNHKが紹介していた)。アメリカはまさに理念なき時代に突入しようとしているようだ。





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