桜の森の満開の下:篠田正浩

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篠田正浩の1975年の映画「桜の森の満開の下」は、坂口安吾の同名の短編小説を映画化したものだ。原作は、無頼派作家とよばれた坂口の代表作というべきもので、桜の妖気に取りつかれた人間の魔性のようなものをモチーフにしている。短編小説ながら物語展開に劇的な要素があって、映画化にはなじむ。それを篠田は映画化したわけだが、一部脚色をまじえながらも、ほぼ原作に忠実な演出といってよい。

「桜の花が咲くと人々は酒をぶらさげたり団子をたべて花の下を歩いて絶景だの春ランマンなどと浮かれて陽気になりますが、これは嘘です。なぜ嘘かと申しますと、桜の花の下へ人がより集まって酔っぱらってゲロを吐いて喧嘩して、これは江戸時代からの話で、大昔は桜の花の下は恐ろしいと思っても、絶景だなどとは誰も思いませんでした」という具合に原作は始まるのだが、全くそのとおりに映画も始まる。

ついで若山富三郎演じる盗賊が出て来て、山の中を通りがかる旅人を次々と襲っては殺す。そのうち数人の一行を襲うのだが、そのなかに目を奪われるような美しい女がいる。盗賊は連れの亭主を殺して、その女を自分のアジトにつれていくのである。

男には大勢の妾達がいるのだが、女はそれらを殺せと男に命じる。命じられた男は素直に妾達を殺す。ただ一人だけは、身の回りの世話をさせるために生かせておく。こうして女と男の協同生活が始まる。女は男に命じて色々なことをさせるのだが、そのうち、山の中がきらいになり、男をかき口説いて都に出るのだ。

岩下志麻演じるその女というのが、人の生首をおもちゃにしてあそぶのが大好き。生首をとってくるように男に命じると、男はせっせと生首をとっては、都のアジトに運んでくる。すると女はそれらの生首を相手にして戯れるのである。

このあたりの筋の運び方は原作にほぼ忠実である。一つだけ、男が検非違使に捉えられ、拷問された挙句に放免とよばれる手下にされるところが、原作にはない脚色として挟まれている。それがあるおかげで、映画としてのバリエーションが広がったといえなくもないが、なくてもたいした影響はないのではないか。

最後は、男が女を抱えて山のなかに戻る途中、桜の森の中を通りがかるシーン。そこで女が山姥に変身して男を驚かし、驚いた男が女を絞め殺すのだ。殺された女は、桜の花弁となって消え失せてしまい、男は茫然として取り残される。そのあたりの演出は、桜の花弁が吹雪となって飛び散る中を、男が女を絞め殺すところなど、なかなか濃艶な感じに仕上がっている。

岩下志麻が魔性の女を、それこそ鬼気迫るように演じている。彼女はこういう役がよく似合う。「鬼畜」における非情な女と並んで、出色の演技ではないか。また、この映画には武満徹が音楽監督として参加しているのだが、かれのあの幽邃な雰囲気の音が、この映画の妖艶な雰囲気を盛り立てている。





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