男の顔は履歴書:加藤泰

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加藤泰はいわゆる任侠映画が得意で「緋牡丹博徒シリーズ」などを作っているが、1967年の作品「男の顔は履歴書」は一風変った任侠映画だ。これを任侠映画といえるのかどうか異論があるかもしれないが、一応義理と人情の板挟みになった主人公が、やくざ者を相手に大暴れするという点では、任侠映画の延長上の作品といってよいのではないか。

この映画の特徴は、主人公が医者であること、やくざ者たちが在日朝鮮人であることだ。在日朝鮮人たちが、戦時中自分らに加えられた差別的な処遇への意趣返しとして、日本人を悩ませる。そこへ安藤昇演じる任侠的な医者が、在日朝鮮人たちを一網打尽に退治して、日本人たちの救いの神になるというのが大方のスジである。そこに、在日朝鮮人の一人が、戦時中安藤の戦友であったという経歴でかかわることとなる。中谷一郎演じるその在日朝鮮人は、戦友の誼で安藤に助太刀をし、又安藤が刑務所に入れられた時には、安藤の愛人を世話して自分の女房にしてやる。ところが、十年余りたった時、中谷が瀕死の状態で安藤の診療所に運ばれてくる。そんな中谷の姿を見ながら、安藤が昔のことを思い出すというかたちで映画は展開するというわけである。

この映画の意義は、在日朝鮮人たちに、日本人への復讐をさせるというところにある。この映画の中の朝鮮人たちは、日本のやくざのマネをして、あくどいことをしている。日本人たちはそんな在日朝鮮人に屈服して、ただ怖れるばかり、というふうに描かれているが、そんなものを見せられると、戦後の一時期とはいえ、実際にこんなことがあったのか、つまり在日朝鮮人たちが日本人を迫害したことがあったのか、と疑問をもってしまう。小生はそういう史実を耳にしたことがないので、これがただの作り物なのか、それとも一定の史実を踏まえているのか、判断はできない。すくなくとも、在日朝鮮人への反感を掻き立てるような内容であることを指摘しておく。

主人公の医者を演じた安藤昇は、自分自身がやくざであり、一時はかなり勢力をもっていたらしい。それが映画界にスカウトされ、主にやくざの役を演じたわけであるから、その演技には本ものの匂いがする。題名に「男の顔は履歴書」とあるが、安藤の顔には大きな刀傷の跡があり、独特の迫力を感じさせる。しかし映画の中の敵役である内田良平とか、安部徹などとは違って、こわもてというイメージよりも、ニヒルなイメージのほうが強い。

なおこの映画には、若き日の伊丹十三が、伊丹一三のクレジットで出てくる。伊丹の役どころは、血気盛んな若者で、安藤の弟といった設定。かれは在日朝鮮人たちの不正に抵抗して殺されてしまうのだが、朝鮮人の若い女と惚れあったりして、なかなか泣かせる役を演じている。






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