浴女:ルノワールの世界

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ルノワールは1882年に初めての海外旅行をした。まず2月に北アフリカに行き、10月にはイタリアに行った。イタリアに行った目的は、ラファエロの作品を見ることだった。それまでの印象派的な画風にいきづまりを感じていたルノワールは、ラファエロから転換のためのインスピレーションを得たいと思ったのだった。

北イタリアからローマに入ったルノワールは、ヴァチカンにあるラファエロの有名な壁画を見て、その古典的な均整美に圧倒された。構図といい、色彩といい、それまでの自分の画風の対極にあるものだった。しっかりしたデッサンに裏付けた画面の展開。それを見るとルノワールは、自分にはデッサン力もなく、色彩の施し方も中途半端だと思わざるを得なかった。

ルノワールはそれ以降、ラファエロを意識しながら、古典的な手法で画くことにこだわるようになった。「浴女(Baigneuse)」と題されたこの絵は、そうした努力の跡が見られるものである。これを見た仲間の画家たちは、ルノワールの画風が、大きく変化したことを感じた。

これを、「陽光の中の裸婦」の絵と比較すると、その変化の度合いがよくわかる。まず輪郭が明確になった。背景も、慎重に工夫されている。「陽光」はありのままの自然の眺めを無造作に表現したものだったが、この作品には人工的な組み立てを感じさせるものがある。

モデルの女性がだれか、長い間秘密だったが、後にルノワールの妻となるアリーヌ・シャリゴが、これは自分たちの新婚旅行の記念だと発言して、彼女だということが公然となった。アリーヌは、この旅行に同行した後、ルノワールと親密になり、1885年にはルノワールのために、長男を産んだ。正式に結婚したのは1890年のことだ。

(1883年頃 カンバスに油彩 119.7×93.5㎝ ハーヴァード大学コレクション)






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