ゲーテと民主主義:トーマス・マンのゲーテ論

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ゲーテ生誕200周年にあたる1949年に、当時アメリカに住んでいたトーマス・マンは、ドイツに招かれて、ゲーテを記念する講演をした。そのテーマは「ゲーテと民主主義」であった。マンがなぜ、このテーマで講演する気になったか。また何故、15年も前に追われたドイツに戻る気になったのか。くわしいことはわからない。ゲーテの生誕200年を記念して、是非講演をしてほしいという依頼はドイツからあった。マンといえば、当時のドイツを代表する知性だと、誰もが思っていたから、ドイツの宝ともいうべきゲーテをたたえる人としては、マン以上の適任はないと、ドイツ人なら誰もが思っただろう。だがそれにしては、腑に落ちないこともある。ドイツの敗戦直後にマンは、ドイツ人はドイツという国家を捨てて、ユダヤ人のようなさすらいの民となって世界中に散らばる方がよいと言っていた。何故ならドイツ人に国家を持たせると、ろくなことはないからだ。そんな風に祖国に毒づいていたマンが、その祖国に戻って、祖国の生んだ偉大な人間をたたえる講演を引き受けたというのは、腑に落ちないことと言って、見当違いではない。

ゲーテと民主主義を結びつけたのは、ドイツにも民主主義の可能性はあるということを、講演を依頼した人も、マン自身も思ったこととかかわりがあるのか。1949年といえば、ナチスの記憶がまだ鮮烈な時期だ。その時期に、ゲーテと絡めて民主主義を語るということには、ある強烈な思いがあったのだろう。ナチスの独裁には、色々な原因が考えられたが、それが民主義を破壊したということに関しては、共通の了解があったのではないか。なかにはカール・シュミットのように、民主主義は必ずしも自由主義とばかり結びつくのではなく、独裁と結びつくこともあると言って、ナチスを民主主義によって基礎づけた者もいたが、大抵の知識人は、それを詭弁だとして無視した。本来の民主主義が自由と結びつくことは、フランス革命の教訓から明らかなことに思えた。したがって、ドイツにおいて民主主義を語ることは、ナチスに代わる選択肢を提示することにつながるのではないか、という思いをあらわしていた。その選択肢とは、トーマス・マンにおいては、ドイツのヨーロッパ化ということにほかならなかった。

その民主主義をマンは、ゲーテと結びつけたのだが、この二つのものの結びつきは、予定調和的なものではない。かなり背反しあうものが、相互の矛盾を抱え込みながら、不思議な結びつきをしているというのが、マンの見立てである。というのもこの講演は、前半では貴族趣味を持ち、大衆による民主主義を軽蔑するゲーテを語り、後半では、民主主義を進歩と結びつけ、そのような民主主義に親愛感を持つゲーテを語っているのである。

マンは、ゲーテには反民主義的傾向があると言う。それはマンによれば、ゲーテの貴族趣味的な自尊心に根差している。ゲーテは自分を、選ばれた偉大な人間と考えていた。だから他人が自分に向って「閣下」と呼ぶのを、当然のことのように受け取っていた。そういう尊大さは、大衆への尊敬とは両立しない。そこがゲーテの反民主主義的なところだとマンは言うわけである。実際ゲーテの自己愛的尊大さは、誰もが気づくことである。そうした尊大さは、世界は究極的原因からも究極的目的からも自由であって、この世界では、善も悪もそれぞれ権利を持っていると言い、自分自身にも善と悪を等しく包容する才能が備わっていると主張することにつながった。こうした考えかたは、自然審美主義と反道徳主義に結びつくが、そうした傾向を極度に突き詰めたのがニーチェである。ニーチェはゲーテのこうした傾向の正統の後継者だということになる。

こういう傾向をもってフランス革命に接したゲーテは、宗教改革に対するエラスムスの態度を反復したとマンは言う。エラスムスは多くの面で宗教改革に寄与したのだったが、のちに人文主義者らしい嫌悪の念を以て宗教改革を否定したのだった。ともあれフランス革命は、大衆の革命であった。それは多数の支配をもたらした。しかし多数は、文化的・倫理的には何もよいものをもたらさない。真によいものをもたらすのは、ゲーテのような偉大な才能を持った人間である。そういう確信からゲーテは、出版の自由、大衆の発言、憲法、多数決による支配などといったものに反対したのである。

こう言うとゲーテはゴリゴリの反民主主義者という印象を与えるが、ゲーテには民主主義的な側面もあるとマンは言う。この講演の後半部分は、民主主義者としてのゲーテについて、様々な例を引きながら語っているのである。

ゲーテが民主主義者らしく振舞うのは、宗教について語る時と、進歩について語る時である。ゲーテは、宗教的にはプロテスタントを高く評価していた。その最大の理由は、カトリックが因習にとらわれ、権威主義的なのに対して、プロテスタントは、神の前での平等を解き、その面では因習から解放され、権威主義からかけ離れているという点だった。つまりゲーテにとっては、プロテスタントは、過去の因習を排除し、未来に向かって進む可能性を意味していた。しかも神の前の平等を大事にする点で、すべての人々の平等を前提とする民主主義の考えかたに馴染んでいるとマンは言うのである。

また、進歩ということについても、それが過去の因襲を排除し、未来を見据えている限りで、民主主義とつながるものがある。進歩を妨げているのは、因習の存在とそれを保持しようとする古い勢力であって、これに対して、進歩をめざすのは、民主主義の方だとゲーテは認めるのである。なぜそうなのか、マンの講演を読んだだけではかならずしも納得できないが、マンが進歩を民主主義の側に結びつけたがっていることは、行間から伝わって来る。

最後にマンは、ゲーテがアメリカを理想化していたことに言及している。ゲーテは「詩と真実」の中で、権利と自由のためのアメリカの勝利を、「人類をほっとさせてくれること」と言っているが、これ以上に民主主義的な言葉はないとマンは言う。「自由な土地に自由な国民がある」、それがアメリカだとゲーテは言うのだが、そしてそんなアメリカに自分も行きたいと真剣に考えたりするのだが、それはゲーテがアメリカに民主主義の理想を見ていたからだと言って、マンはゲーテの民主主義的心性を改めて強調するのである。それは、いま実際にそんなアメリカに住んでいる自分に、満足していることを表明しているようだ。ドイツの同胞諸君、君たちもアメリカのような自由な国を作るように努力しなさいというわけか。





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