愛を読むひと:スティーヴン・ダルドリー

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スティーヴン・ダルドリーの2008年の映画「愛を読むひと(The Reader)」は、ナチスの戦争犯罪裁判をテーマにした作品だ。ナチスの戦争犯罪については、裁く側の視点から描いたものが圧倒的に多い中で、この作品は裁かれる側の視点から描いた数少ない映画だ。その裁かれ方に納得できない部分がある。裁かれる人間、それは中年にさしかかった女性なのだが、その女性が生涯ただ一度の恋をしながら、おそらく事実とは違った認定をされて罪を背負う、というような、見ていて多少の切なさを感じさせるような映画だ。スティーヴン・ダルドリーが監督したこの映画は、ドイツを舞台にして、一応米独合作という形をとっているが、全編英語である。

三十を少し超えた年齢のハンナと、十五歳の少年が恋をする。きっかけは、猩紅熱のために路上で倒れた少年マイケルを、アンナが介抱したこと。マイケルは三か月ものあいだベッドに釘付けになるが、病気がなおるとハンナを訪れて感謝の言葉を述べる。ハンナはマイケルに石炭を運んでくれるように頼み、マイケルがその作業をすると、顔をはじめ全身が石炭だらけになる。そんなマイケルをハンアは入浴させ、体をきれいにしてやるのだが、全裸になったマイケルに欲情を覚え、かれをセックスに誘惑するのだ。こうして二人の性的な関係が始まる。恋人同士になったとはいえ、ハンアは成熟した女性で、マイケルはまだ子どもだ。そんなマイケルをハンナは、坊やと呼びながら可愛がるのである

ハンナはマイケルに本を読んでもらうのが好きだった。マイケルもいやがらずに、色々な本をハンアに読んでやる。実はこれがこの映画の、クライマックスへ向けての布石になっている。ハンアは文盲だったのだ。それで自力では読書ができず、人に読んでもらうのが好きだったのである。

ハンナは市電の車掌をしていた。勤務ぶりがいいので、事務員に抜擢される。その直後にハンアは姿をくらましてしまう。彼女が消えた理由は、言われなくてもわかる。彼女は文盲なので、事務は勤まらないのだ。

数年後、マイケルはハイデルベルグ大学に入学して法律を勉強している。その実習で、教授に連れられて裁判の現場を見学する。彼らが見学した裁判は、SSによるユダヤ人殺害という事件だった。それにハンナが被告の一人として裁かれていたのだ。その事件というのは、戦争末期に起きたいわゆる死の行進にかかわるものだった。大戦末期にナチスの戦況が悪くなると、ナチスは各地に収容していたユダヤ人を、色々な理由から移動させた。その際に、輸送力の不足からユダヤ人を歩かせることがあった。それが後に死の行進と呼ばれるようになる。ハンナはそうした行進の一つを指揮し、その最中にユダヤ人を狭い建物に詰め込んだあげく、その建物が空襲で焼けたために、中にいた三百人のユダヤ人が焼け死んだというものだった。ハンナは五人の同僚と共に、その事件の被告として裁判にかけられたわけである。その裁判には、三百人のうち奇跡的に生き残ったユダヤ人の母子も出て来て、当時の状況を証言したりもする。

ほかの五人は、ハンナに罪をかぶせようとして、ハンナがリーダーであり、事件の顛末書もハンナが一人で書いたと、口裏を併せて主張した。それについてハンナは、最初は自分が書いたことを否定していたが、そのうちそれを認める。その結果、他の五人は軽罪で済んだが、ハンナは殺人罪を適用されて、無期懲役の判決を受ける。死刑がないドイツでは、最高刑である。

刑務所に入れられたハンナと法律家になったマイケルとの間で、ふたたび交流が始まる。交流と言っても、面会するわけでもなく、マイケルが本の朗読を吹き込んだテープを、ハンナに送り届けるというものだった。ハンナはその朗読を、実物の本と照合させながら、独力で文字を学ぶ。そして字が書けるようになると、マイケル宛に手紙を書き、感謝の気持ちを伝える。いまではマイケルだけが、生きる上での心の支えになっているようなのだ。

受刑態度がよかったことで、ハンナは20年後に仮釈放になる。それには身許引受人が必要だが、マイケルは刑務所吏員の要請に応えてその役を買って出る。そうして二十数年ぶりに、二人は面と向かって再会するのだ。その場でマイケルは、昔のことを思い出すかと尋ねる。ハンアは、あなたとのことかと聞く。それに対してマイケルは、それ以前のことだと言う。この言葉がハンナには鋭く突き刺さったようなのだ。彼女はその直後に、独房で首を吊って死んでしまうのだ。ただ一人愛している人から、自分の罪を責められていると感じて、絶望したのだろう。

ハンナは遺言を残していた。刑務所で貯めたわずかの金を、あのユダヤ人の生き残りの人にあげて欲しいというのだ。マイケルはその言葉を実行する。アメリカに住んでいる母子のうちの娘を訪ね、事情を話す。娘は、自分では金を受け取らなかったが、その金を慈善団体に寄付することについては、それにハンナの名を用いることを含めて、異存はないと答える。彼女はハンナを許すまでには至らないまでも、ハンナの気持はわかったようなのだ。

マイケルは、ハンナとのことがトラウマになって、まともな人間関係が築けなかった。そのことで妻とも離婚し、娘との良好な関係が築けないでいたが、ハンナが死んだことで、心に整理がついたように感じ、少なくとも娘とは良好な関係を築きたいと思うようになるのだ。

こんなわけで、ホロコーストの一端をメーンテーマにしながら、それに男女の愛を絡めたこの映画は、なかなか人を感動させるものを持っている。いい映画だと思う。ハンナを演じたケイト・ウィンスレットがすばらしい。





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