朝涼:鏑木清方

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大正八年(1919)、文展は解散して、新たに帝展が発足した。鏑木清方は、その前年に文展の審査員になっていたが、引き続き帝展の審査委員になった。張り切った清方は任務に精励したが、そのため自分の制作がおろそかになり、長い間のスランプに陥ったという。スランプから脱したのは、第四回帝展に「春の夜の恨み」を出した頃からだが、第六回の帝展に出展した「朝涼」で、完全にスランプから脱したと清方は「画心録」に書いている。

早朝の若い女性の散歩姿を描いたこの絵のモデルは、清方の長女。背景は、横浜金沢区の田園地帯だそうだ。その頃清方は、毎年の夏、妻子を伴なって金沢で過ごした。そんな一日、朝まだきに、残月が中空に淡く浮かんでいる光景が気に入って、長女をモデルに描いたという。

画面上部に残月の淡い光が描かれ、中段には日の出の光をおもわせるような明るい色で塗られている。少女はその光のようなものの中に浮かび上がっているように見えるから、残月というよりは、朝ぼらけといったほうがわかりやすい。

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これは少女の上半身を拡大したもの。髪をおさげに結ったところはまだ子供っぽいが、きりりとした目つきは大人の気配を感じさせる。

(1919年 絹本着色 218.0×83.8㎝ 鎌倉市)






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