約束の旅路:エチオピアのユダヤ人

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2005年の映画「約束の旅路(Va, Vis Et Deviens)」は、エチオピアのユダヤ人をテーマにした作品だ。小生はあまり事情に詳しくないのだが、歴史のいたずらというか、エチオピアには黒人のユダヤ人がかなりいるのだそうだ。その黒人を、宗教的にはユダヤ教徒という理由から、イスラエル政府が正式なユダヤ人と認めて、イスラエル国内への受け入れをした。どういう事情からかは、小生にはわからない。ともあれその受け入れは二波にわかれ、1984年のものをモーゼ作戦、1991年のものをソロモン作戦と称しているそうである。この映画が描いているのは、ソロモン作戦である。

ソロモン作戦というのは、エチオピアのユダヤ人をスーダンの難民キャンプに集合させて、そこから飛行機に乗せてイスラエルに輸送するというものだった。その情報を聞きつけた黒人のユダヤ教徒たちが、スーダンの難民キャンプに集合する。難民キャンプには、ユダヤ人以外の一般の難民もいる。その中からユダヤ人をピックアップして、イスラエルに連れて行くという作戦だ。

映画は、難民キャンプに身を寄せていた非ユダヤ人の母親が、息子をユダヤ人に見せかけてイスラエルに送りこむところから始まる。その母親にとって、息子は唯一の希望だが、アフリカにいては未来がないと、思いを決して息子を送りだすのだ。それについては、一人息子を死なせたばかりの黒人のユダヤ人女性がからむ。彼女は事情を知って、その子を自分の子に見せかけて同行するのである。

こうしてその子はイスラエルにやってくるのだが、自分を連れて来てくれた女性は病気で死んでしまい、一人ぽっちになってしまう。なかなか周りに溶け込めず、寂しい思いに悩みながら、トラブルばかりおこす。そのうちに、白人の一家に養子として引き取られ、その家族の一員として生きることになる。家族は夫婦の他に二人の子、兄と妹がいる。かれらが黒人の子を養子に引き取ったのは、夫の理想主義のあらわれだということになっている。この夫はリベラルな思想を持っていて、日常の言葉としてフランス語を話す。実際この映画は、大部分がフランス語なのであり、一応フランス映画ということになっているのである。

シュロムというユダヤ風の名を与えられた少年は、けなげに生きようとする。しかしイスラエルでは黒人はほとんどいない。シュロムは厳しい差別にさらされる。そんなシュロムにとって、心を開ける人は、同じくエチオピアからやって来た老人だ。シュロムはその老人と相談しながら、いつかエチオピアにいる母親と再会することを夢見るのだ。

映画は、イスラエル社会で厳しい差別にさらされながら、たくましく成長してゆくシュロムの姿を描く。二時間半に及ぶ映画の大部分は、そうしたシュロムの姿を映すことに費やされるのである。最後は一応ハッピーエンドの形をとっている。長い間愛し合った白人の娘と結婚し、またパリで学業を修めて医者になった彼が、エチオピアの難民キャンプで国境なき医師団のボランティア活動に従事する。そしてその難民キャンプの一角で、夢を見続けてきた実の母親との、劇的な再会を果たすのである。

そのラスト・シーンが感動的である。小生などは、溝口の「山椒大夫」のラスト・シーンを思い出してしまった。どちらも息子と母親がしっかりと抱き合うのである。なお原題の「Va, Vis Et Deviens」は、「行き、生き、なる」という意味だ。イスラエルに行って、そこで生きて、人間になった男の物語というような意味だろうか。






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