アナーキー・インじゃぱんすけ 見られてイク女:瀬々敬久

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瀬々敬久の1999年の映画「アナーキー・インじゃぱんすけ 見られてイク女」は、瀬々得意のピンク映画の一つの頂点となるものだ。副題に「見られてイク女」とあるように、多少変態気味の女が主人公だが、もっと重要な役割を果たしているのは、この女と変な因縁から結ばれた男と、その二人の仲間たちである。かれらは女を買うことでつながっているのだが、一人の女を共有するわけではなく、また性的な嗜好で結ばれているわけでもない。テンデバラバラな気持ちから女を買うのであるが、その買い方はそれぞれユニークである。

主人公の女は、客の変態行為が理由で石女になってしまうのだが、母性が強いらしく、子ども欲しさに他人の子ども(まだ乳飲み子)を盗んで育てている。その女がいる店に三人でやってきた男たちは、それぞれ好みのタイプの女を買う。一人はアナルセックスが好きなので、アヌスでやらせる女、一人はスカトロ趣味なので、自分の排せつ物を処理してくれる女、もう一人はタツトシといって、これといった趣味はないのだが、彼が買った女ミズキが主人公の女で、彼女は、他人に見られると興奮するタイプなのだ。実際かれらは、路上で人の目に自らをさらしながらセックスするのである。

これが基本設定なのだが、映画は三つの時間軸で進んでいく。一つ目は1981年で、ミズキが他人の子を盗むシーンが中心だ。その前にミズキはある客に向って、あんたのクサレチンポのおかげで子どもが産めなくなったと責める。二つ目は1989年で、盗んだ子ヨシキと一緒に暮らしているミズキのもとにタツトシが同居している。タツトシはコンビニで働いているが、そこに二人の仲間が絡む。男たちはそれぞれ自分勝手なセックスを追求するのだが、どういうわけかミズキは車を大木に衝突させて死んでしまうのだ。三つ目は1999年で、成人したヨシキがタツトシの悪友たちと一人の少女を誘拐し、最期にはタツトシを殺して拳銃で自殺する。タツトシを殺した理由は、自分が誘拐されたことを隠していたため、また少女を誘拐したのは、その少女の親が自分の本当の親で、要するに自分を見捨てたことへの意趣返しということになっている。

タツトシは死んでいく前に、自分の生涯を回想する。それが夢ではなかったと言うことを、死んだ後で確信する。かれが死んだ後、ミズキが幼いヨシキを抱いて、ヨシキが自殺したはずの大木の根方にやってくる。その大木は映画の冒頭でも出て来たし、ミズキの車が衝突した木でもあった。物語の節目ごとに出て来て、象徴的な役割を果たしているのである。

かなり陰惨なストーリーだが、そのストーリーの合間に男女のセックスシーンがかなりな頻度で介在する。それがどれも変態的な場面なので、見ている方としては、結構疲れてしまう。決して長い時間ではないのだが(68分)、見終わった時には疲労感を覚えているのだ。






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