ヘヴンズ・ストーリー:瀬々敬久

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瀬々敬久の2010年の映画「ヘヴンズ・ストーリー」は、人間のサガを黙示録的に描き出したものだ。テーマも壮大だが、描き方も壮大だ。なにしろ四時間半を超える大作である。だから劇場公開に際しては、途中で休憩時間を挟んだというくらいだが、当日の観客は、退屈はしなかっただろうと思う。よく作られているので、退屈を感じさせないのだ。

テーマは人の命だ。人の命の意味を、殺人という行為を介して考えるという設定になっている。この映画に出て来る人々は、殺人によって家族を殺されたり、自らが殺人を行ったりする人々だ。その人々が、殺人を通じて結びつき、命の意味を考えるというような設定になっているのだ。

主要な登場人物は四人だ。両親と姉を殺された少女。この少女は、殺した相手が憎いのだが、その男が自殺したために、復讐する機会を奪われたと思っている。二人目は妻と生まれたばかりの子を通り魔に殺された男。この男は殺した相手を、できたら自分の手で殺し、復讐したいと思っている。そしてその気持ちをテレビ会見でぶちまけるのだが、それを少女が見て、強い共感を覚えるのだ。三人目は、通り魔の男。この男は未成年で、複雑な過去を抱えている。四人目は、過去にあやまって人を殺し、そのつぐないをする一方、受託殺人を行っている男。かれはその仕事で得た金で、殺した相手の家族に償いをしているのだ。

この四人の人物が、それぞれ自分の生活を営みながら、どこかで交差するという具合に映画は進んでいく。全体が九つの部分にわかれ、オムニバス感覚で進んでいくのだが、それぞれの部分の間には、無論深い関係がある。

第一部は「夏空とおしっこ」と題して、両親を殺された少女サトが、祖父に引き取られるところを描く。その際に少女は町のテレビで、家族を殺されて復讐を誓う男の映像を見て、感動するのである。

第二部は「桜とユキダルマ」と題して、若い母親と生まれたばかりの子が、通り魔によって殺されるシーンと、殺人代行の警察官カイジマが依頼された仕事、つまり殺人を行うシーンからなる。そのカイジマは、たまたま知り合った女性に、自分が過去に人を殺した話を打ち明ける。

第三部は「雨粒とROCK」と題して、妻と子を殺された男トモキが、難聴のミューシャン、タエと出会い、やがて一緒に暮らすようになる過程を描く。

第四部は「船とチャリとセミの抜け殻」と題して、数年後、成長したサトが離島にやって来るところを描く。その離島にはカイジマ父子とトモキ一家が住んでいるのだ。トモキはタエと結婚し、子どももいることになっている。そのトモキに向かって、サトは復讐をそそのかす。自分には復讐できないから、あなたには是非それをやりとげて欲しいと言うのだ。トモキは躊躇するが、復讐を決意し、サトとともに、行動するようになる。

第五部は「落ち葉と人形」と題して、母と子を殺した通り魔の少年ミツオが、認知症の女人形師恭子と触れ合い、やがて出所して一緒に暮らすようになる過程を描く。ミツオは恭子との触れ合いのなかで、人間としての心を取り戻していくのだ。

第六部は「クリスマス・プレゼント」と題して、サトらとミツオが邂逅し、トモキがミツオにせまるところを描く。この場面では、トモキはまだミツオに殺意を抱いていない。

第七部は「空にいちばん近い町1 復讐」と題して、北海道の廃墟に二人でやってきたミツオと恭子を、サトとトモキが追いかけて来るところを描く。ここでトモキらは、ミツオを殺すには至らず、あやまって恭子を死なせてしまうのだ。

第八部は「空にいちばん近い町2 復讐の復讐は何?」と題して、恭子を殺されたと思い込んだミツオが、かえってトモキを恨むところを描く。かれらは互いに殺しあって、二人とも死んでしまうのである。一方、カイジマも、仕事のトラブルから殺されてしまう。

最後の部は「ヘヴンズ・ストーリー」と題して、死んだものと生き残ったものとの触れ合いを描く。孤児になって養護施設に入れられる息子を、幽霊となって見守るカイジマ、母子家庭となった妻子の様子をそっと見守るトモキの幽霊、一方サトは、母親の遺書に導かれて地方のある場所を訪ねる。そこへ向かうバスの中には、ミツオと恭子の幽霊が乗っている。サトは山の中で催されている人形劇を見物するが、劇が終わって人形の姿が消えると、死んだ家族の幽霊が現れるのだ。

こんな具合に、この映画は、人間の生死の意味について考えさせるようになっている。それは、死は突然にやってくる、といった言葉とか、ミツオら人が死んでいく一方、新たな生命が誕生してくる場面を対比させるとかいったふうに、効果的に演出されている。






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