十一月の雨:鏑木清方

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「十一月の雨」は、昭和31年(1956)の白寿会に出展したもの。時に清方は七十八歳だった。これも「朝夕安居」同様、東京の庶民の暮らしをモチーフにしているが、その服装等から見て、やはり明治の昔の暮らしぶりのようである。清方は、明治という時代に特別の愛着をもっていたようだ。そうした愛着は、随筆からもうかがえる。

雨が降る通りを、蛇の目傘をさした女性がふと振り返り見るのは花屋の荷車、これに様々な花を乗せて、売り歩いているのだろう。その背後には、建行燈に十三里と記した店がある。十三里とは、焼き芋屋のこと。九里(くり)四里(より)うまい十三里をもじったものだ。右隣の店の前には柳の葉がなびいている。雨にはやはり柳が似合う。

全体に、筆を抑え気味に使っているが、傘を持った女性など肝心な部分は、色あざやかに、しかもメリハリをつけて描いている。

(1956年 紙本着色 54.7×81.5㎝)







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おはようございます。少し間が空きましたが、4月7日に始まった鏑木清方シリーズがこの回で終了しましたので投稿したいと思います。
シリーズ中3回目の投稿ですが、毎回楽しく鑑賞しておりました。清方画の挿絵から始まり展覧会出典画への変遷がよくわかり、最後の浮世絵師あるいは美人画の清方を再確認できました。記憶に残る絵画は以下の通りです。
1.孤児院は多数の子供の描写もあり構図から画家のやさしいまなざしが伝わります。
2.一葉女史の墓は小説たけくらべの美登利をイメージして友人の妻に墓に寄り添うポーズをとらせたようだとあり、驚きました。このような構図を発想した清方にも感心します。
3.妖艶な印象の刺青の女も驚きです。この画は私の所有している金零社の展覧会図録で知っていましたが、解説で清方の大正時代にはもう見られないはずの女侠客・渡世人を描いたとのこと。私の学生時代には絶大な人気だった緋牡丹お竜シリーズともダブってきました。やはり画家の発想に驚きます。
4.朝涼は清方の長女をモデルにして金沢区の田園地帯を背景にしているとのこと、大変やさしいまなざしがよくわかります。
5.築地明石町、新富町、浜町海岸などの美人画はやはり清方の名をはせる作として納得しました。
6.明治風俗12か月には触発されて、随筆家でもある清方の87年版随筆集をアマゾンで取り寄せました。
7.最後は肖像画一葉ですが、清方は面識がないがファンであったとのこと。これも驚きです。一葉小説の挿絵は清方はいろいろと書いているので当然面識があったと思っていました。一葉は私も好きなので
ドラマを見たり、台東区の記念館へも行きました。

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