広重の名所江戸百景

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(名所江戸百景目録)

歌川広重は、葛飾北斎と並んで、徳川時代の浮世絵版画を代表する画家である。その名声はヨーロッパにまで及び、いわゆるジャポニズム・ブームを呼んだほどだ。かのゴッホも広重に啓発され、模倣した作品を残している。北斎もそうだったが、大胆な構図の風景画が、ヨーロッパの先鋭的な画家たちの目に斬新に映ったのであろう。北斎といえば、米欧では日本文化を代表するような扱い方をされているが、広重の意義もそれに劣らないと言うべきである。

広重は下級武士の子として江戸に生まれた。父親は江戸八重洲河岸常火消同心だった。十三歳で家督をついだが、幼い頃から絵心があり、十五歳の時に歌川豊広のもとに入門、師匠の名の一字を貰って、歌川広重と名乗った。当初は役者絵や美人画を描いていたが、やがて風景画を得意とするようになる。

広重の風景版画としては、東海道五十三次のシリーズや、木曽街道六十九次のシリーズが有名である。前者は北斎の富岳三十六景と並んで、日本の風景版画を代表する傑作といってよい。また後者は、渓斎栄泉との共同作であり、これもまたすぐれた風景版画といえる。

広重は江戸で生まれ育ったということもあり、江戸各地の風景画を早くから刊行していた。東都名所とか江戸名所と名づけられたそれらの風景版画シリーズを、生涯のさまざまな時期に繰り返し刊行している。名所江戸百景と題した大きなシリーズものは、安政三年(1856)から同五年(1858)にかけて刊行した。広重最晩年の作品で、死の直前まで描き続けられた。

名所江戸百景とうたっているとおり、江戸の府内、府外合わせて119の風景を描いており、名所といわれるようなところはほとんどすべて網羅されている。写真のなかった当時、風景版画は人々にとっては身近な名所案内であり、また芸術鑑賞ともなった。そんなこともあって、大きな評判を呼び、版画としては異例の発行部数を誇った。

広重の絵の特徴は、独特の構図と、豊かな色彩感覚にある。広重は遠近感の表現がうまく、手前のものを巨大微細に描く一方、遠景を非常に小さく描くことで、その間にある空間を、遠近感をもって人々に認識させた。そうした遠近感は北斎にも見られることで、そこにヨーロッパの画家たちが共感した一つの理由があるように思える。

また色彩については、ヒロシゲブルーという言葉があるように、独特の青の表現が特徴である。この青は、当時日本に入ってきたインディゴブルーを使ったものである。その青で表現されているのは、澄み切った空の色と、水の色である。江戸は非常に起伏の激しいところであるとともに、水の豊かな土地でもあった。起伏の激しい山手地帯と河川や掘割に囲まれた下町地帯に別れているのは、今日の東京以上に明瞭に指摘できることで、下町と呼ばれるようなところから郊外にかけて、水の風景が至る所に見られた。広重はそうした水のある風景を描くのを好んだようで、江戸名所百景119点のうち、水のある風景は実に94点に上る。

刊行本は120葉からなる。目録及び119点の版画である。版画は春夏秋冬の四季に従って分類・配置されている。

このサイトでは、名所江戸百景119点のすべてについて、描かれた場所の解説とか、絵そのものの鑑賞をしたいと思う。なお原作の版画のサイズは、縦大判(39×26.5㎝)である。







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