ダゲレオタイプの女:黒沢清

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黒沢清の2016年の映画「ダゲレオタイプの女(La Femme de la plaque argentique)」は、日仏合作ということになっているが、事実上は、黒澤がフランスに招かれて作ったフランス映画だ。スタッフもキャストもフランス人だし、言葉もフランス語だ。かつて黒澤明がソ連に招かれて「デルス・ウザーラ」を作ったのと同じと考えてよい。

黒沢清らしく怪談仕立ての映画だ。死んだ人間が生きている人間と暮らしたり、昔死んだ人間の幽霊が出て来て、自分を死なせた人間に恨み言を言ったりする。死んだ人間があたかも生きているように振る舞う所は、前作の「岸辺の旅」と同じ趣向で、幽霊が出て来て恨みがましく振る舞うのは、四谷怪談以来の日本の怪談趣味の現われである。それをフランス人がどう受け止めたか。フランスにはお岩さんのようなカルチャーはないと思われるが、死んだ人間が生きているように振る舞うのは、ホラー映画の一種として自然に受けとめるのではないか。

タイトルにあるダゲレオタイプとは、初期の写真撮影術のこと。フランス人のダゲールが発明したことからその名がついた。これは銀板に感光させるという技術で、かなり時間がかかる(原題は「銀板の女」)。この映画の中でも、モデルは数十分動かずにいなければならないことになっている。その技術にこだわっている写真家の物語というのが、この映画の売りだ。

その写真家は、パリ郊外の邸宅に住んでいる。そこに一人の若者ジャンが、助手として雇われる。ジャンはその邸宅で、ある女性を見かけるのだが、それは昔死んだ写真家の妻の幽霊なのだった。妻は、写真家が飲ませた毒(撮影に必要な薬)にあたったあげく、首を吊って死んだということがやがて明らかにされる。そのことを怨み、また娘が同じような目にあわされていることを案じて、夫の前に現れてくるのだ。

娘マリーの方は、父親の望みに応えてダゲレオタイプのモデルをつとめている。しかしある日突然死んでしまう。母親同様毒を飲まされて死んでしまったのだ。そんなことはわからないジャンは、娘がまだ生きているものと思い込み、彼女を自分のアパートに住まわせて、そこで愛の巣を営なむ。一方、父親の邸宅を買収したいという開発業者の話に乘り、一儲けしようと企むのだ。

結局企みは成功せず、父親は自殺、自分自身は開発業者をふとしたはずみで射殺してしまう。その後、ジャンはマリーを車に乗せてトゥールーズに向かう。そこの植物園にマリーの職が見つかったのだ。途中一軒の教会を見つけた二人は、そこで二人だけの結婚式をあげる。器用なジャンは、針金を材料にして結婚指輪を作り、マリーの指にはめてやるのだ。

しかし土壇場でマリーは消えてしまい。ジャンは一人でトゥールーズに向かうのだ。かれは、自分はまだマリーが一緒にいると思い込んでおり、誰も乘っていない助手席に向って話しかけるのである。

こんなわけで、ジャンとマリーにまつわる部分については、「岸辺の旅」の浅野元信と深津絵里の関係とほとんど同じ構図である。また、たまたま見かけた教会で二人だけの結婚式をあげるところは、吉田拓郎の曲「結婚しようよ」を思わせる。なおダゲレオタイプの技術は原始的なものらしく、それを活用した玩具の写真機が、小生の子供の頃に流行った記憶がある。






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