大てんま町木綿店、する駕てふ:広重の名所江戸百景

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(7景 大てんま町木綿店)

大伝馬町は、徳川時代初期には奥州街道の最初の宿場になっていた。その宿場に多くの伝馬が用意されていたことから大伝馬町と名づけられた。慶長二年(1597)に千住大橋がかけられて以降、最初の宿場は千住に移ったが、大伝馬町は引き続き栄えた。


大伝馬町には、木綿を扱う店が多く集まった。木綿は衣料の材料として、それに関連する店も多く集まる。そのようにして、この一帯は商業地域として発展するわけである。

絵に見えるのはたばた屋という木綿店。伊勢津の田中屋の江戸店である。重厚な作りの店構え。屋根の上には防火用の天水桶がのっている。店の前を歩く二人連れは芸者であろう。

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(8景 する駕てふ)

駿河町は、現在日銀があるあたり。日本橋の大通りから横に伸びたところだ。この地域一帯は、徳川時代には呉服店越後屋が占めていた。伊勢松坂の商人三井高利が延宝元年(1673)江戸に出て来て日本橋本町に店を開いた。今日の三井グループの始まりである。越後屋と称したのは、祖先に越後守を名乗った武士がいたからだという。

この図柄は、本町通り(今の日本橋通り)との交差点から南西方面を望んだところ。手前がその交差点で、それを左手にいけば日本橋である。駿河町の通りの正面には富士がそびえるような山容を見せている。この富士にちなんで駿河町と名づけられたのである。

通りには大勢の人々が集まっている。江戸隋一の賑わいである。構図には一点消去法とか、遠近法と言った工夫が見られる。広重はこうした技術を、西洋画から学んだという。






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