下谷広小路、日暮里寺院の林泉:広重の名所江戸百景

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(13景 下谷広小路)

下谷広小路は、上野山下の南側に連続したところ。いまでもその名で呼ばれている。ここは将軍が寛永寺に行くときに通ることからお成道とも呼ばれた。明暦の大火後に、日よけ地として整備された広場だ。

この絵は、広小路に面してたつ呉服屋松坂屋を描いたもの。松坂屋は、日本橋の越後屋、大伝馬町の大丸とならんで、江戸有数の呉服屋だった。その店先を、揃いの傘をさした一団が通り過ぎてゆく。これも花見に向かう一行であろう。

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(14景 日暮里寺院の林泉)

日暮里はもと新堀と書いた。風景明媚なことから大勢の人が集まり、日が暮れるまで風景を楽しんだので、日暮里と書かれるようになったと言われる。たしかに眺めのよいところだ。上野の山から飛鳥山にかけて延びる大地の上にあり、東側が切り立った崖になっていて、眼下に田園地帯を望み、西側は緩やかな傾斜になっていて、散策するにはうってつけである。

この一帯は寛永寺の領地であることから、寛永寺の塔頭をはじめ多くの寺院が集まっていた。それら寺院は、大地の西側に集り、地形を利用して自然豊かな庭園を造成するものが多かった。日暮里寺院の林泉と題したこの絵は、そうした林泉の一つを取りあげたものだ。

これは青雲寺の林泉を描いたものだろうと言われる。星雲寺はいまの西日暮里駅の西側にあり、徳川時代には花見寺として知られていた。また、船繋松とよばれる松でも知られていた。






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