自民党の総裁交代劇に見るシラケ

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安倍晋三総理の突然の辞任を受けて、さっそく自民党の総裁選びがはじまったが、総裁選の公示をまたずに、次期総裁が決定したようである。例によって派閥間の談合が行われ、その結果、岸田、石破のグループを除いた全派閥が菅官房長官に一本化したと報道されている。今回は、自民党員の広い参加を得ておこなうのではなく、実質国会議員だけで決めようということだから、これで結果は決まったといえるのである。いつものこととはいえ、自民党の体質を思い知らされる。国民の目を無視して、自分たちのうちわの都合だけで、次の総裁、つまり総理大臣を決めようというわけだ。

この結果、岸田、石破両氏には、すでに総裁になる余地は残されていないわけで、敗北が決定したわけだが、それでも両氏とも総裁選に出馬すると言っている。その理由が、なかなかけなげである。

もし対抗馬がおらずに、自動的に菅氏に決まってしまえば、自民党は幅の狭い政党だと国民に思われるだろう。自民党内にはさまざまな意見があり、そうした多様な意見を抱え込んでいるところが、自民党の良さなのだから、そうした良さを総裁選でもアピールしたい。だから、無駄なことかもしれないが、自分たちなりの政治理念や政策を訴えることで、自民党が多様な意見を許容する寛大な政党だということをアピールしたいのだ、というようなことを両氏とも言っているが、けだし正論とえよう。

そこで二人とも自分の政治理念や政策を、メディアを通じて訴えていた。それを聞くと、二人とも安倍政権とは異なったスタンスをとっていることがわかる。だから、彼らの意見を含めて、複数の候補者が公明正大な選挙でそれぞれ意見を戦わせれば、自民党も活力を示せ、また国民の関心も高まると思うのだが、ほとんど国会議員だけの閉ざされた選挙では、シラケたものにしかなるまい。

それはともあれ、二人の言ったことを考えてみたい。岸田氏は、安倍政権の成果は認めながらも、安倍政権は格差を広げたことに問題があると言っている。そして格差を縮めるためには分配の視点が必要だといっている。こうした考え方は、池田、大平以来の宏池会の伝統を踏まえたものだろう。

石破氏のほうは、「納得と共感」という言葉を使いながら、安倍政権の唯我独尊的な政治運営を批判する一方、政策的には分配重視の考えを示していた。石破氏といえば、タカ派的なイメージが強いが、今回はそうした面を封印して、ハト派的な主張を前面に出しているので、かなり岸田氏に近いスタンスを感じさせる。なお、これは余談だが、このたびテレビで見た石破氏の様子は、言葉に切れがあって、爽快さを感じさせた。石破氏といえば、回りくどい話し方が玉の疵で、ひと言で言えることを三十分かけて言うと、誰かに揶揄されていたが、それを意識したのかもしれない。

ともあれ、これまでの自民党なら、すくなくとも中選挙区時代の自民党なら、党内の様々な意見を吸い上げようとする力学が働いて、右で失敗すれば左で補うといった弾力性をもっていた。ところが今般の自民党には、そうした弾力性が全く感じられない。菅氏は政治的には安倍総理のコピーといってよい。本体の安倍が失敗して辞任に追い込まれたにかかわらず、そのコピーが後釜に座るというのは、自民党の将来にとっても好ましいこととは思えないのだが、そう受け取る人は、今の自民党にはいないということか。





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