砂むら元八幡、亀戸梅屋敷:広重の名所江戸百景

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(29景 砂むら元八幡)

砂村は、いまでは砂町と呼ばれ、江東区の東側にある。その一角に八幡神社があって、元八幡と呼ばれている。この神社は平安時代の末期からあった古いものだが、寛永六年(1629)に今の深川の地に移されて富岡八幡宮となった。そこで古い社殿を元八幡と呼ぶようになったのである。

荷風散人の随筆や日記に、元八幡に触れたものがある。それによれば、社殿は田んぼ地帯の一角にあって、古さびた感じがするというので、散人はえらく感心している。

このあたりは、もともと湿地帯で、周辺には水たまりが沢山あった。その様子が、この絵からは伝わって来る。

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(30景 亀戸梅屋敷)

亀戸梅屋敷は亀戸天神の近所にあって、正式には清香庵といった。湯島天神と並ぶ梅の名所で、徳川時代から明治以降にかけて、多くの庶民が訪れた。かの正岡子規も、病身を人力車に運ばせて、わざわざ根岸から花見にきたほどである。

梅屋敷には多くの種類の梅が植えられていたが、なかでも臥竜梅と呼ばれるものは、その名の如く龍が伏したような形をしており、ものめずらしさで多くの人々を寄せ集めた。

広重が描いたこの手前の梅が、臥竜梅である。まさに龍が臥せった姿を彷彿させる。この構図は、かのゴッホを大いに啓発させ、ゴッホはこれの複製を油彩で描いたほどである。






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