東京兄妹:市川準

| コメント(0)
ichikawa02.aniimo1.JPG

市川準の1995年の映画「東京兄妹」は、両親に死なれて二人だけで暮らす兄妹を描いた作品。タイトルが示すとおり、東京の一隅、画面から都電の荒川線の沿線雑司ヶ谷界隈とわかる所を舞台にしている。雑司ヶ谷の鬼子母神が度々出て来るから、この兄妹はその付近に暮らしているのだろうと思う。両親が残してくれた小さな家に、二人だけで暮らしているこの兄妹を、カメラは淡々としたタッチで追う、というような作り方だ。

兄は本屋の店員として働き、その収入で妹との二人暮らしを支えている。恋人がいるのだが、妹のことを考えて結婚できないでいるうちに、恋人に去られてしまうような冴えない男である。妹は、映画の始めのところでは高校生ながら、主婦としての務めを淡々とこなすような立義な性格に描かれている。やがて高校を卒業し、DPEコーナーの売り子として働くようになる。つつましい限りの青春を踏み出すわけだ。

ある日兄が友人を家につれてくる。いつか客として接待した相手だったということもあり、妹はその男に好意を持ち、やがて急速に近づくことになる。恋人ができた妹は、夜遊びをするようになり、挙句は外泊をして、兄を心配させる。妹がいなくなって、一人家の中に取り残されると、兄はどうしようもない寂しさを感じるようなのだ。あたかも妹が唯一の生きがいで、彼女のいない生活はむなしさに満ちて見えるのだろう。

どういう事情からか、画面からは伝わってこないのだが、妹の恋人が死ぬ。その葬式に兄は友人として出るのだが、その場で親戚の女性が、変な死に方をする子だと思っていたと語る。その葬式の場に妹は出ない。葬式が終わってしばらくたった頃、妹は家に帰って来る。そんな妹を兄は、なにごともなかったように、暖かく迎えるのだ。

そこで映画は終るわけで、実にあっけない終わり方だ。恋人が死んだ理由もわからないし、妹がなぜ、彼を好きになったのか、それもよく伝わってこない。それに、一軒の家で若い兄と思春期の妹が二人きりで暮らしているというのも、稀有な設定だ。だから観客は、登場人物に感情移入できないのではないか。

ただ、時間が丁寧に流れているというようなイメージを感じさせる。濃密というのでもないが、稀薄でもない。それなりに充実してはいるのだが、ただ変化に乏しいのだ。だから丁寧というほか、言いようがない。






コメントする

アーカイブ