にい宿のわたし、真間の紅葉手児奈の社継はし:広重の名所江戸百景

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(93景 にい宿のわたし)

にい宿のわたしとは、旧日光街道が亀有で中川をわたるところに設けられていた。旧日光街道は、千住大橋を超えたところで奥州街道から別れ、亀有を経て日光方面に向かっていたのである。このわたしを渡ったところの宿場を新宿と言った。

この絵は、亀有側から新宿方面を眺めた構図。中川がかなり広く描かれているが、実際にはそう広い川幅ではなかった。絵には帆掛け船が浮かんでいるが、これは愛嬌だろう。実際には小舟を手でこいで対岸に渡れるほどだったらしい。

画面左手の建物は、休憩所であろう。新宿は千住、松戸の両宿場に挟まれ、旅人を泊める旅館はなく、休憩のための施設がいくつかあっただけだという。

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(94景 真間の紅葉手児奈の社継はし)

下総の真間には手児奈伝説が伝わっており、万葉集にも歌われている。後世の人々がその伝説を踏まえて、この地に神社を建て、手児奈明神と称した。いまでもその地に存在している。

手児奈神社の北側に隣接して弘法寺という寺がある。高台に立っているその寺の境内には、見事な紅葉の木が植えられていて、秋には鮮やかに色づいた。それを人々は真間の紅葉と呼んだ。小生もそれをスケッチしたことがある。

この絵は、弘法寺の境内から真間の里を見下ろした構図。手前に見えるのが手児奈神社の祠であろう。これは南の方角を見ているので、遠景に見えるのは房総の山々だと思われる。なお、水が見えるのは、この辺りまで入り組んだ入江である。その入り江にいくつもの洲が出来、それらの洲を結ぶ橋を継橋と言った。







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