スノーピアサー:ポン・ジュノ

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ポン・ジュノの2013年の映画「スノーピアサー」は、アクション仕立てのSF映画である。一応韓国映画ということになっているが、様々な国の俳優が演じ、言葉もさまざまである。というのもこの映画は、地球の破滅を生き残った人間たちの物語なのである。生き残った人間が一台の列車を拠点にして、地球をグルグル回っている、という想定だ。その生き残った人間は、さまざまな民族を集約しており、したがって多国籍な社会を構成しているわけである。

地球の破滅の原因となったのは、地球の温暖化を防止するために散布されたCW-7という物質の効果によるものだったということになっている。この物質の効果が効きすぎて、地球は氷の世界となってしまい、生き物は悉く死に絶えた。ただほんの一掴みの人間たちが生き残った。彼らは一台の巨大な列車に乗り込んで、かれらだけの閉じた社会を生き続けるのである。その社会を納めた列車の名をスノーピアサーと言う。

こう言うと、ノアの箱舟の話が想起される。ノアの箱舟の話は、神の怒りをかって地球が滅ぼされ、その際に一掴みの生き物がノアの箱舟にのって生き延びるということになっている。そのノアの箱舟に相当するのがスノーピアサーというわけだ。だが地球が滅んだ理由は違う。ノアの箱舟の話では、神の怒りが地球を滅ぼしたということになっているが、この映画の場合は、愚かな人類が地球を滅ぼしたということになっている。おそらく核兵器による破滅を念頭に置いているのだろうと思う。ポン・ジュノは「グエムル」においても、人間の愚かさが怪物を作りだしたというメッセージを発していたものだ。

列車には様々な人間が乗り込んでいるが、かれらの間には階級制度が成立している。位の高い連中は列車の前方にいて、快適な生活をしている。位の低い連中は列車の最後部に押し込められて惨めな生活を送っている。そればかりではない、支配階級は自分たちを守るために警察組織を作り、下級の連中を監視・抑圧している。そのやり方があまりにも非人間的なので、下層階級の怨嗟の的となっている。過去には、その怨嗟がたびたび暴動を生んだが、そのたびに弾圧されてきた。しかしそれにめげず、新たな抵抗運動、つまり反乱が始まる。反乱の指導者となるのはカーティスという男だ。この男には複雑な過去があることがやがて明らかにされるが、当面は、この男が痛快な活躍ぶりをして、支配者に迫るのである。

それについては、韓国人のミンスという男とその娘ヨナが協力する。ミンスは列車の車両のつなぎ目の扉の鍵を開ける技術がある。その技術を使って次々と扉を破り、支配者のいる最前列の車両に迫るのである。だがそれは多大の犠牲をともなった。一緒に蜂起した仲間の多くが、支配者の私兵たちによって殺されるのである。しかし最終的に支配者と向き合ったカーティスは意外なことを聞かされる。支配者の役目を代わってもらいたいというのだ。

一方、ミンスの方は、地球が再び温暖化している兆候を見て、列車からの脱出を試みる。娘と力を合わせて、列車の最前列の扉を破壊し、外へ脱出しようとするのだ。その試みは成功したかに見え、列車の扉は爆破されて開いたが、その爆発の振動で巨大な雪崩が発生し、列車はそれに飲み込まれて脱線・破壊を蒙る。その結果二人を除いてみな死に絶えてしまうのだ。その二人とは、少女のヨナと少年のティミーだ。男女のセットで生き残ったわけだから、この二人から新たな人類が繁栄するようになるだろう。そのようなメッセージを残しながら映画は終るのである。

そういうわけで、単なる娯楽映画ではない。人間の愚かさや、そのおぞましい本性などについての、辛辣な批判を感じさせる。またさまざま国籍の人間が登場するが、そのなかで中心的な役割を演じるのは主人公のアメリカ人カーティスと韓国人の父娘だ。日本人はいいところがない。唯一日本語が聞えて来る場面があるが、その日本語というのが「このやろ、バカヤロ」なのである。日本人はみなしょっちゅうこう言っていると受け取られているらしい。







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