深川洲崎十万坪、芝うらの風景:広重の名所江戸百景

| コメント(0)
edo107.susaki.jpg
(107景 深川洲崎十万坪)

深川は、墨田川右岸の湿地帯を埋め立てて陸地になったところだ。深川八郎右衛門なるものが家康の命で埋め立てたところから、深川と呼ばれるようになった。埋め立てはユニークな方法を用いた。地区に縦横に水路を掘り、その掘った土を湿地に埋め戻したのである。これによって、水運を担う水路と陸地が二つながら得られたわけである。

深川地区が本格的な発展を見せるのは、明暦の大火(1657)以後。江戸中心部にあった寺社や材木屋が移転してきてからだ。材木屋などは、水路を利用して材木を集約することができた。その深川の海に面したところを洲崎といったが、そこもまた享保以降に埋め立てられて、深川洲崎十万坪と呼ばれた。明治以降は東京有数の赤線地帯として大いに発展する。

これは洲崎の埋め立て地を空から俯瞰した構図。画面上部に鷹の精悍な姿が描かれている。

edo108.sibaura.jpg
(108景 芝うらの風景)

芝浦は芝高輪あたりの海岸地帯を指す名称である。海岸沿いには多くの漁師が住んでいて、江戸市中に魚介類を供給していた。ここでとれる魚は江戸前といわれ、美味なことから市民に愛された。

この絵は、浜離宮の北側から南の方向を眺めた構図。右手に見える松林が浜離宮の先端である。浜離宮は明治以降の名称で、徳川時代には浜御殿と呼ばれた。

左手前に大きな杭が描かれているが、これは水位を示すために設置されたもの。船はこれによって水位をはかり、難船しないように航海した。また左手奥に見える土塁のようなものは、海防目的に作られたお台場である。あちこちに跳び縄っているのはカモメのようであるが、カモメにしてはずんぐりとした体型である。







コメントする

アーカイブ