教皇インノケンティウス十世:ベラスケスの世界

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1649年の秋から約二年間、ベラスケスは二度目のイタリア旅行をする。王室を飾るための美術品収集が主な目的で、そのため王室による公務出張というかたちをとった。ベラスケス用に馬車が一台用意されたほかに、美術品を運ぶための騾馬も交付されるという破格の待遇だった。

マラガから船に乗り、ジェノヴァに上陸した。その船は、フェリペ四世の再婚相手たるマリア・デ・アウストリアを迎えるために編成された船団に属していた。前王妃イサベルが1644年に亡くなり、フェリペ四世は寂しい思いをしていたので、再婚を喜んだという。

ミラノ、ヴェネツィアで多くの芸術作品を見た後、ローマに行き、そこで美術品を収集しながら自らも芸術作品を見学した。このたびのイタリア滞在は、王の使節としての立場だったので、ベラスケスはイタリアの有力者たちから大事にされた。当時はインノケンティウス十世が教皇であったが、その教皇の出身母体であるパンフィーリ家から多大な支援を受けた。

そのインネケンティウス十世の肖像画を、ベラスケスはローマ滞在中に制作した。時あたかもジュビリー(25年に一度の聖年)の最中で、インノケンティウス十世は、ジュビリーを記念して自らの肖像画を描かせたのだと思われる。

白衣の上に深紅の肩がけをはおり、斜に構えたポーズは、ラファエルの「ユリウス二世」以来の、教皇像の踏襲だという。本人は醜男で性格が悪かったと噂されているが、その噂に符合するような雰囲気を、この絵は漂わせている。

(1650年 カンバスに油彩 140×120㎝ ローマ、ドーリア・パンフィーリ美術館)






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